わかってほしかった気持ち──ずっと、どこかで抱えている
こんにちは、ほんわかです。
障がいのあるお子さんを育てていると、
日々の生活の中で、ふとした言葉に心が揺れることがあります。
先日、こんな言葉を目にしました。
「『大変だね』って言われるのは慣れてるけど、
一番ほしいのは『わかるよ』『一緒に考えようか』って言葉なんです」
この一文に触れたとき、
なぜだか胸の奥が熱くなって、ふいに涙が出そうになりました。
“わかってほしかった”という気持ち
大きな声で泣き叫ぶわが子を、必死で抱えていた日。
診察室で障がいの診断を聞いて、頭が真っ白になった日。
あのとき私はきっと──
「わかってほしい」って、心の中で叫んでいたんだと思います。
でも、どう伝えたらいいかわからなくて。
何度も伝えようとしても届かなくて。
気づけば、「伝えること」をあきらめかけていた自分がいました。
軽度ゆえに──見えづらく、伝わりにくい苦しさ
うちの子は“軽度”といわれるタイプです。
見た目や表面的なやりとりだけでは、わかりにくいことが多くて、
「そんなに困ってるように見えないよ」
「もっと〇〇すればいいんじゃない?」
そんな言葉に、何度も胸をしめつけられてきました。
でも──
見えづらいだけで、困りごとは確かに“ある”んです。
それを説明しても、理解されない。
そのもどかしさと孤独に、何度も立ち止まりました。
“理解される”って、こんなにもあたたかい
だからこそ──
「それ、わかるよ」「うちもそうだったよ」
そんなふうに言ってもらえたときの安心感は、言葉になりません。
経験者だからこそわかる“共感”の力。
私はそれに何度も救われてきました。
そして今度は、私が誰かの
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