季節の節目に挟む栞
初めまして。東南アジアで勤める傍ら、日々の生活の中で感じたことを文章を通して描いている誰詩(たし)です。これから東南アジアでの生活についてや、日頃のエッセイをそっと更新していけたらなと思います。もともと、思考や完成を文字にして可視化することは趣味でしたが、アウトプットの機会を増やすことに決め、coconalaを始めました。最初のブログは過去に書いたエッセイになります。「大海原の真実」此処まで真っ直ぐに歩み続けた貴女。綱渡りのような感覚だとも、貴女は順調に足跡を刻んで歩き続けている。貴女という存在は大海原の中の一滴の雫。一度手で掬ってみても、またすぐに海に戻る。次に掬う一滴は、全く違った色のあなたで。この一生も、今の一瞬もそう。もう戻れない、もう戻らない。深い海へと沈んで戻っていく貴女は、何を思い返すでしょう。(誰詩;2021)「つめたい夕闇の中」自分の無力さが浮き彫りになって、息を止める瞬間。無力さという錯覚に巻きつけられていただけだと、いつかの何かの拍子で気づくことがあるから。その日まで、できる限り自分を暖め続けてあげて。(誰詩;2021)「洗う」世界を跨いでいる今。あちこちで、手を振る姿に惑わされることもあるけれどゆらりゆらり、時間の流れるままに見えたものを、自分の手で掴んで綺麗に洗い流して、そっと近くに置いていたい。(誰詩;2021)「黄金の愛し方」黄金の輝きに目を奪われるのは仕方がない。黄金への憧れと、自分の充足への線引きは時間をかけていけば大丈夫。充足というのは煌びやかでなくとも、自分が存在したことに素直に感謝できるような瞬間だったり、誇りだったり美味しいだったり、そ
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