何かが欠けているかもと感じる人に向けて
何かが欠けているかもしれない人に向けてというと、偉そうなのですが、私自身が何も出来ていない自分自身に対して、ある日感じた思いです。顔にコンプレックスを持つ方がいます。時には整形依存になったりすることもありますが、その整形によって幸せに生きられるならばそれでいいと思いますが、行き過ぎてもう辞めた方がいいのではという方もいますよね。これは例えなので、人によって欠けていると感じる部分はそれぞれですが、それによって暮らしづらいと感じるようなこともあると思います。病気だったり、障害があったり、不幸なことがあったり、しかし、その現象があることによって、そのままの自分も中々完璧とは言い難いが、そのままでもいいじゃないかと思えないでしょうか。その現象そのものは辛い面もありますが、その方の生活の辛い面を見て私は今日、目が見えるならば本を読むことが出来ます。手があるならば手で何かを作ったり、耳が聞こえるならば音楽を聴いたり人とお話したり、勉強したならば、した分は、誰かの役に立つ発明が出来るかもしれませんし、子供達に何かを教える事が出来ます。出来ない人は、出来る人たちに出来る余地や努力できる余地を教えてくれています。また、これは多少スピリチュアルな話になるのですが、私が霊と話す時耳で聞こえているのではありません。霊を見る時に目で見えているのではありません。テレパシーや第三の目(これは肉体に存在しませんよね)でも見えるのは目で見ていないからです。目や耳で感じようと思っているうちは見えないし話も出来ないと気がついたのは、30代になってからです。あくまで私は、もっと若い時にそれを理解されている方もいらっし
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