サーカスの象は なぜ。
支配的な上司のもとで、管理されながら働くうちに、「ひとの言うことに従う」ことにすっかり慣れてしまい、なにかを自分で考えたり、決めたりすることを諦めてしまおうとしている自分がいます。ときどき、そんな自分に気づくことがあります。
子どもの頃、「親の言うことにさからうと、どんなにひどい目に遭うか」ということを、身をもって覚えさせられた子どもは案外多いものです。そんな彼らは、なにかものごとを選んだり、決めようとするたびに、心の中に棲む「神のような親の存在」に、お伺いをたてる癖が、なかなか治りません。かりに、自分の人生の大切な局面で、その癖が事態を混乱させたとしても、彼らがその呪縛から逃れることは、とても難しいのです。
それは、どこか「サーカスの象」の姿に、似ています。
鎖に繋がれ、杭に縛り付けられた子どもの象は、逃げようとするたびに、鎖が足に食い込み、激しい痛みを体で覚えてしまうため、あきらめとともに「自分の力では、絶対に逃げられない」という思い込みを、自らの意識に刻み込んでしまいます。
やがて、成長した象は、体が何倍にも大きくなり、その力は重機のように強大になっているのですが、本人はその事実に気が付きません。幼いころにおぼえた「自分の力では、絶対に逃げられない」という無力感にしたがい、一生を、暗くて狭いサーカスの小屋の中で、おとなしく終えていくのです。これが サーカスの象の人生脚本です。
「どうせ無理だから」と多くのことをあきらめ、一歩も踏み出さずに、言いたいことも言わず、したいこともせず、委縮してしまう若い人を見ると、私はいつも「サーカスの象」の話を思いだします。
サーカスの象は、
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