「昭和の駄菓子屋(コンビニ)とは⁈💜」🎾🚴♀️⚔️🏓🤿🏸😎😍
💎昭和で言うとまさしく町のホットステーションだったと痛感しています。その駄菓子屋のおばちゃんこと、私の母でした。私は、多感な小学、中学を駄菓子屋というところで過ごしたという事です。母が主人公なのはもちろんのことですが、この時代(昭和)の駄菓子屋というのは今思うと自然と近所のいろんな人間の感情が集まる場所であったと言えると思います。気軽に入ってきて、気軽に話をして、100%駄菓子ではなくて今でいうコンビニが扱っているこじゃれな商品も置いていたのです。ですから子供から大人まで、そして私の友達も遊びに来るという事で母と私で応対していたのを覚えています。いろんな物語が記憶に残っている次第です。故に、私の母はゴットマザー的なフィーリングを醸し出すようになっていました。私の経験ではないですけれども、ある方の”味な話”としての駄菓子屋物語を記載したいと思います。昔、行きつけの駄菓子屋がありました。正式名称はわからないですが「オバコンの店」と呼ばれていました。流行っていた子供向けの特撮テレビ番組「ロボコン」から、おばあちゃんがやっている店という理由で「オバコン」なのかもしれないけれど真相は謎でした。オバコンは、不愛想でした。子どもに媚びを売るようなことはいっさいなかったのですが、なぜか私は、オバコンが好きで50円や時には100円玉を握りしめて「世間話してくる!」といって、足しげく通いました。行けば話し込み、トイレを借り、一度だけ昼ご飯を作ってもらいました。「オバコンとご飯を食べた!」というたびに大人たちは驚きました。驚くという事は、おそらく近所では親切なばあさんという事では、通ってはいなかった
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