1164.大阪夏の陣を尋ねて
大阪夏の陣を尋ねて茶臼山登山大坂の陣(おおさかのじん)という天下分け目の大戦で、全国のその名を轟かせたのが、「真田幸村」(真田信繁)です。味方が不利な状況の中、一発逆転を狙って徳川家康の本陣目指して突撃を仕掛け、家康を後もう一息まで追い詰めたことは有名な話ですよね。
慶長3年(1598)8月、天下人・豊臣秀吉が没すると、五大老筆頭の家康は秀吉の遺命に背いて諸大名らとの姻戚関係を築いていきます。
やがて、これに反発した五奉行の石田三成らと激しく対立することになり、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いが勃発。結果、東軍の家康方が西軍の三成方を破ります。
ただし、これで徳川家康の天下となったわけではありません。豊臣体制はまだ幼い秀頼が後継者として存在しており、家康はその後見的立場としての権勢を得るにとどまっています。ちなみに、このとき西軍に味方した真田昌幸・幸村の父子は領土を没収され、高野山麓の九度山へ配流されています。
しかし、家康は天下を完全に掌握するため、慶長8年(1603)に江戸幕府を開いて初代将軍に就任。ここに「徳川」と「豊臣」という二大権力が併存することになり、家康は天下を完全に掌握するため、徳川将軍家の地位を不動のものにしようと務めていくのです。
家康は慶長10年(1605)に嫡男の徳川秀忠に将軍職を世襲させています。そして慶長16年(1611)に二条城にて秀頼と会見。このとき秀頼の成長ぶりに危機感を抱いた家康は、豊臣政権を滅ぼす決意をしたといわれています。
徳川家康の陣地『茶臼山』登山山を少し降りると川底池があります。湿地帯には色んな植物があり、今の時期は
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