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即身成仏という祈り――真言宗の修行が教えてくれる、宇宙と私を結ぶ知恵

 日々の喧騒に追われていると、ふと自分の心を見失いそうになることがあります。 仏教における厳しい修行の数々は、一見すると現代の私たちから遠い世界のことのように思えますが、その根底にあるのは、誰もが抱える迷いや苦しみから自由になるための、極めて実践的な知恵です。 特に、弘法大師・空海が開いた真言宗の教えには、今を生きる私たちの心にも深く響く、瑞々しい世界観が広がっています。 真言宗の教えが目指す究極の境地、それは「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」です。これは、はるか遠い未来や死後に仏になるのではなく、この肉体を持ち、生きている今この瞬間に、自分自身が仏の境地に達するという思想です。  そのために、真言宗では独自の修行を行います。修行の本質は、決して単なる苦行ではありません。それは、自らの「身(身体)・口(言葉)・意(心)」という3つの営みを、仏と一体化させていく「三密(さんみつ)の修行」というプロセスなのです。 具体的には、仏と同じ「印」を指先で結び(身)、神秘的な力を秘めた言葉である「真言」を唱え(口)、心に仏の姿を鮮やかに思い描き(意)ます。 こうして自分の身体、言葉、心を仏と完全に一致させることで、私たちの奥底に眠っている「仏の心」を呼び覚ましていくのです。 また、滝行や断食、険しい山中を歩くといった肉体の限界に挑む厳しい行も、すべてはこの即身成仏への道のりです。 過酷な環境の中で自分自身の慢心や、物事への執着といった「煩悩」を焼き尽くし、心を極限まで浄化していきます。 そうして得られた強い精神力や功徳(エネルギー)は、決して自分一人の満足のためだけには使われません。 それ
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心が動く場所を、私たちは現実と呼ぶ

 私たちは、自分の「死」についてあれこれと思索を巡らせることがあります。 しかし、どれほど深く考えても、実はその答えに辿り着くことはできません。なぜなら、自分自身の死を、自分自身で直接体験し、認識することは不可能だからです。 哲学的に言えば、「一人称の死」というものは存在しません。 それでも私たちが死を恐れ、あるいはその意味を問い続けるのはなぜでしょうか。 それは「その人の行動に影響を与えるものこそを、その人は現実と捉える」という人間の性質があるからです。 まだ見ぬ死への問いが、いま現在の私たちの生き方や選択を大きく変えるからこそ、死は私たちにとって切実な「現実」として立ち現れてきます。 一方で、私たちは他者の死を客観的に知ることもできます。例えば、街頭の電光掲示板に「本日の交通事故死者数」が掲げられているのを目にすれば、今日何人の方が亡くなったのかを正確に把握できます。 これは「二人称、あるいは三人称の死」であり、私たちはそれを社会的な事実として共有しています。 将来、科学や生理学のアプローチが進めば、私たちは脳の化学反応による情動や喜怒哀楽のメカニズムとして、死のプロセスを客観的に語れるようになるかもしれません。 しかし、それらの感情は本来、他者との関わりの中で意味を持つものです。 例えば、無人島に孤立したロビンソン・クルーソーのように、完全に社会から切り離されたとき、私たちの精神や「死」の意味はどう変容するのでしょうか。 そう考えると、私たちが抱く死への恐怖や悲しみすらも、他者との関係性の上に成り立つ「社会的な概念」の一種であると気づかされます。 しかし、そうした社会の枠
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宇宙の呼吸に包まれて――阿字観が教えてくれる、ありのままの自分

 日常の喧騒から少し離れ、静かに自分と向き合う時間。そんなひとときをもたらしてくれるのが、真言密教の伝統的な瞑想法「阿字観(あじかん)」です。 これは平安時代、弘法大師・空海によって日本へと伝えられた、歴史ある心の調律法です。 阿字観では、目の前に掲げられた掛け軸を見つめます。そこに描かれているのは、満月のような丸い輪(月輪)と、その中心にある梵字の「阿(あ)」という一文字。 この「阿」はすべての言葉の始まりであり、宇宙の生命の根源を象徴しています。 呼吸を重ねながらこの文字を心に描き、仏の心を自分の中へと受け入れていくと、やがて「宇宙と自分は一つである」という、おだやかな一体感に包まれていきます。 よく比べられる「座禅」が、頭を空っぽにして無を目指すものだとすれば、阿字観の姿勢はとてもあたたかです。 「悩みや煩悩を抱えたままでいい、ありのままの自分を認めよう」という、自己肯定の優しさに満ちています。息を吐き出すとともにネガティブな感情を外へ送り出し、吸う息とともに宇宙の清らかなエネルギーで満たされていくイメージは、現代を生きる私たちの心をも深く癒やしてくれます。 その基本的な実践は、次のような丁寧なステップで進んでいきます。調身(ちょうしん):姿勢を整えます。足を組み、背筋を伸ばして、肩の力をふっと抜きます。調息(ちょうそく):呼吸を整えます。「あーー」と声を出しながら細く長く息を吐き、吸う時も心の中でその響きを感じる「阿息観」を行います。調心(ちょうしん):心を整えます。半分目を開けた状態で阿字の掛け軸を見つめ、月の光と仏の心を自分の中へと溶け込ませていきます。 このような
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【笑えるエッセイ】君の宗派は。    5% 真言宗

蒼俊は。真言宗。日本の仏教宗派は大体、宗派名割合の目安主な特徴・代表的な教えなど浄土真宗約48% 阿弥陀如来の本願による「絶対他力」と「信心正因」。浄土宗約19% 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで極楽浄土へ往生する。曹洞宗約12% ひたすら座禅を行う「只管打坐(しかんたざ)」を重視する。日蓮宗約10% 「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることを重視する。真言宗約5% 弘法大師(空海)が開祖。大日如来を本尊とする密教。臨済宗約5% 公案(問答)を用いた座禅や、水墨画などの文化にも影響。天台宗約2% 最澄が開祖。比叡山延暦寺が総本山。となっております。蒼俊が件の坊主バーへ線香をもって飲みに行きました。浄土宗の方だとはわかりませんでしたが、バーにある仏壇のご本尊が阿弥陀如来様でしたので、「申し訳ございません。私は真言宗徒なので、阿弥陀如来様に真言を唱えました」と申し上げたところ、「(うちのバーは)真言宗の方がいないんですよ~・・・」と、坊主トーク。「そうなんですねー」と言った、翌週・・・・・坊主バーに出勤していました(笑)今でもたまに出勤いたします。ということは現物がいるよ(笑)なお、PVには出演しておりません。                              蒼俊
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真言宗住職になった理由】会社員から住職へ。私が僧侶の道を選んだ理由

「なぜ住職になったのですか?」これは私がよくいただくご質問です。私は生まれたときから僧侶だったわけではありません。約30年間、一般企業に勤め、営業所長やエリアマネージャーとして仕事に励んできました。その一方で、18歳の頃から仏教に関心を持ち、法華経や弘法大師の教えに触れながら学びを続けてきました。仕事では多くの方と出会い、喜びもあれば、人間関係や将来への不安、人生の苦しみに向き合う場面も数え切れないほど経験しました。だからこそ、悩みや不安を抱える方のお気持ちに寄り添える住職でありたいと、日々願っています。その後、ご縁に導かれるように真言密教の修行へ入り、四度加行を満行し、阿闍梨の資格を授かりました。現在は真言宗の住職として、日々祈祷を厳修し、皆さまの幸せを願いながら活動しております。仏教は、悩みを否定する教えではありません。悩みとの向き合い方を学び、心を少しずつ穏やかにしていく教えです。人生には、誰しも迷いや不安を感じる時があります。そんな時、一人で抱え込まず、誰かに話すだけでも心が軽くなることがあります。もし今、人生に迷いや不安を感じておられましたら、お気軽にご相談ください。密教占いでは、生年月日から運勢を拝見するだけではなく、住職として祈りを捧げ、仏教の教えを交えながら、お一人おひとりに寄り添った鑑定を心がけています。皆さまとのご縁に感謝し、これからも心に寄り添える住職であり続けたいと思っております。合掌
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仏様にも、歩んできた時間があるのかもしれない

先日、知人のお寺の護摩法要に参拝しました。私は密教の修行に関わる中で、仏様と一体となることを大切にしています。護摩の炎を前に手を合わせ、いつものように仏様とのご縁を感じながらお参りしていました。その時、ふと不思議な感覚がありました。「少し重たい……」そんな感覚です。気になった私は、知人に尋ねました。 「あの仏様は、何かいわれがある仏様なのですか? すると、こんなお話を聞きました 「私がこのお寺を受け継いだ時、あの仏様の上の天井が壊れていて、雨がずっと降り注いでいたんです」 その言葉を聞いて、なぜか納得しました。もしかしたら私は、その仏様が長い間受けてこられたものを感じたのかもしれないそう思いました。 もちろん、これは私が感じたことです。でも、その時に改めて思ったことがあります。仏様は、ただ飾られている存在ではなく、そこに関わる人々の祈りや時間、ご縁の中で生きていらっしゃる、と。丁寧にお勤めされているお寺には、やはりそこに流れるものがある。そんなことを感じた一日でした。目に見えるものだけではなく感じるものも大切にしていきたい。そう思わせていただいた参拝でした御祈願を受け付けておりません。これを機に手を合わせてみませんか。💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠
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願うということは、思いを届けるということ

先日、疎遠になってしまっている師匠へ、お中元を贈る準備をしました。品物だけでは、どうしても伝わらない思いがあるように感じて、その前に届くよう、お手紙も書きました。何度も書いては消して。どの言葉なら伝わるのか。どの言葉なら失礼にならないのか。考えながら筆を進めました。伝えたいことはたくさんあるのに、いざ言葉にしようとすると、思うようにまとまらないものですね。もちろん、この手紙を書いたからといって、すべてが元通りになるとは思っていません。相手がどう受け取るのかは、私には分かりません。もしかすると、ただの自己満足に見えるかもしれない。そう思う気持ちもあります。それでも、何もしないまま後悔するよりも、自分にできる精一杯の気持ちを届けたいと思いました。結果を求めるのではなく、「伝えたい」と願った自分の心を大切にすること。それもまた、一つの祈りなのではないかと思います。🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー🍀ー仏教では、願いを「ただ叶えてほしい」と思うだけではなく、自分自身の心を整え、行動へとつなげていくことも大切にされています願うということは、思いを届けること。そして、その思いを届ける先は、仏様です。祈願とは、私たちの願いや悩み、感謝の気持ちを仏様へと届ける大切な行いだと私は考えています。僧侶は、その願いを自分の力で叶える存在ではありません。仏様と願う方との間をつなぐ役目をいただいているのだと思います。だからこそ、祈願をお受けするときには、その方がどんな思いで願われているのか、そのお気持ちを大切に受け止めたいと思っています。私自身も、今回師匠へ手紙を書いたことで改めて感じま
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【真言宗住職の自己紹介】なぜ私が密教占いと祈願を行っているのか

はじめまして。私は真言宗の住職として活動しております、宥崔(ゆうさい)と申します。現在は寺院での法務や祈祷を行いながら、YouTubeやTikTokを通じて、多くの方に密教の教えを分かりやすくお伝えしています。YouTube登録者は約9,500名、TikTokフォロワーは約15,000名となり、全国の皆さまとご縁をいただいております。私自身、僧侶になる前は一般企業に勤めておりました。そのため、仕事、人間関係、お金の悩み、将来への不安など、多くの方が抱える苦しみを身近に感じてきました。仏教では「悩みがあること」自体は決して悪いことではありません。悩みがあるからこそ、人は成長し、新しい道を見つけることができます。私は真言密教の修行を重ね、阿闍梨の資格を授かりました。現在も日々読経や祈祷を厳修し、ご縁をいただいた方々の幸せを願っております。ただ未来を当てるだけの占いではなく、「今の自分に何が必要なのか」「これからどのような心で進めばよいのか」そんなことを仏教の視点からお伝えすることを大切にしています。人生に迷いが生じたとき、一人で抱え込まず、誰かに相談することで心が軽くなることがあります。もし今、何かお悩みや不安を抱えておられるなら、お気軽にご相談ください。密教占いでは、生年月日から運勢を拝見し、住職の視点から丁寧に鑑定させていただいております。皆さまとのご縁を大切にしながら、これからも仏教の教えをお伝えしてまいります。合掌
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貧乏寺の住職

昨年の6月、貧乏寺の住職を引き継いだ。貧しいどころではなく、全く収入のないお寺でした。まだ1年にも満たないことです。それでも動き出せば、徐々に人は集まるものですし、人が集まればお金も動き出します。お布施をいただき、お寺の収入がゼロではなくなりました。仏さまは、現実的、具体的にも我々をお救いくださいますことが、よく分かります。大きなお寺を世襲して、なんの努力もせず、苦労もなく、仏道から離れて、経済的に裕福であることに胡座をかいて生きる者よりも、多くを学ぶことが出来ています。有り難いことで一杯です。何より、私が拝むことで、依頼者が喜んでくれることが嬉しいし、喜びを感じます。それは、ココナラ経由でお申し込みの「顔が見えない相手」でも同じことです。幸せなことです。
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youtubeチャンネル、はじめました

もうすでに10本以上の動画をアップしています。初めての際には、聴衆がいない中、カメラに向かって話すことが難しかったのですが、少しなれてきました。また、十一面観音供、不動明王息災護摩供のライブ配信もしたのですが、予想以上に多くの方がご覧になられたので驚きでした。やはり、護摩供で炎があがるというのは、人気がありますね。視聴回数で言えば、ショート動画が一番多いのは当たり前として、私のトーク動画にも多くご視聴いただいて、嬉しい限りです。これからも、精進して、続けたいと思います。写真は、サムネの写真を使用しています。
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初心者向け 真言宗勤行動画を公開しました|まずは一緒に唱えてみましょう

皆さま、こんにちは。宥崔和尚です。 このたび、初心者の方向けに、 真言宗の勤行動画を作成し、YouTubeに公開しました。 「お経に興味はあるけれど、何から始めれば良いか分からない」 「真言や勤行は難しそう」 そんな方にも参加していただけるよう、 今回は、 『まずは一緒に読んでみましょう』 という想いで作成しております。 完璧に読めなくても大丈夫です。 声に出しても、 心の中で唱えても大丈夫です。 大切なのは、祈る時間、心を整える時間を持つことだと私は思っています。 今回の勤行では、 ・懺悔 ・三帰 ・三竟 ・十善戒 ・発菩提心 ・三昧耶戒 ・開経偈 ・般若心経 ・十一面観音真言 ・十三仏真言 ・光明真言 ・御宝号 ・大金剛輪陀羅尼 ・祈願文 ・回向文 を読誦しております。 朝の時間、 夜の静かな時間、 少し心を落ち着けたい時。 よろしければ、 動画と一緒にお勤めしてみてください。 ▼動画はこちら 感想もコメントでお聞かせいただけると嬉しいです。 合掌 ―――――――― 純聖寺高槻布教所 住職 宥崔――――――――
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琉球古神道にふれる

琉球古神道が知りたいと、沖縄に行ってきました。神人(かみんちゅ)さん、ユタさんにお会いし、世界遺産にもなった斎場御嶽(せぇふぁうたき)や神の島と呼ばれる久高島にも行ってきました。密教の中には、アニミズムもシャーマニズムが内包されていますが、琉球古神道は、まさにそれでした。祈りを中心として生活し、聖域を大切にし、古からの習慣がいまもなお続いています。御嶽などの聖域は、特別な空気感がありました。自然の中にあっても堂内と同じです。大和国でも磐座が神さまが在所として扱われますが、それは琉球でも同じですし、大きな岩には何かあるのでしょうね。「神さまの代替わり」について神人さんからお聞きしましたが、仏教においても天部の神さまは欲界の中にいて、人間よりも長寿であっても輪廻の対象ですから、代替わりはあるのでしょう。沖縄で学んだこと、たくさんあります。私にはたくさんの役割があると、神人さんから言われました。「代替わりの時ですし、忙しくなりますよ」と。私が、代替わりお手伝いをするようです。役割であるなら、喜んでお手伝いしますが、それをどのようにするのかは、まだ謎のまま。沖縄で善い刺激をもらって帰ったきたので、これから瞑想や加持祈祷で活かしていこうと思います。
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高野山

今日は、弘法大師空海によって開かれた高野山へ。若いころに修行させていただいた祖山でもあります。今は、まだ桜も残っていました。あいにくの雨でしたが、日曜日ということもあって、聖地高野山に訪れる人も多くおられました。この山にくるとエネルギーがもらえます。
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