主語は私 (2024.7.22.)
私の母は、十分大人になった私をいつまでも心配して、でも肝心なところはちょっと抜けている、かわいい女(ひと)でした。鑑定士になって、たくさんの「お母さん」からご相談を受けるようになりましたが、その姿に、私はいつも自分の母をだぶらせてしまいます。子どもの心配、
ダンナの心配、
家族の心配、
病気や学校のこと、仕事のこと、
色々あります。
ある程度、お話しを伺ってから、私が必ず伺う質問があります。
「○○さんは、どうしたいですか?」
この問いかけに、皆さん驚いたように絶句されます。
一呼吸置いて、
「だから子どものことで……」と、家族のお話しは続きます。
また私は問いかけます。
「分かりました。お子さんのことは、もちろん心配ですよね。
それは一度、横に置いた上で、○○さんは、どうしたいですか?」
この質問は、決して目の前の方を否定するわけではありません。
その真逆で、ご自分の本当のお気持ちに耳を傾けてほしい、という思いでお伝えしているのですが、
こちらの意図に気づいていただけたとしても、
ちょっと絶望したような、悲しそうなお顔をされることがあります。
私が伺いたいのは、
○○さんのお話しの「主語」から始まるお気持ちです。
女性は、特に家庭を持たれている方は、主語が曖昧です。
いつも家族のこと、周りのことを思い、そこに気持ちを寄り添わせて、
周りの方の願いを自分のことのように思い、共に悩み、何とか現実を変えようとされていく。
そしてうまく物事が進まないと、さらに感情を乗せ、
「私が何とかしないと!」と思われ、
「母親としてどうすべきか」と必死になって正解を求めていかれる。
それはとても
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