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「ユダヤ人」って、選ばれた民族なの?!

あんまり、世界宗教って、学校で教えてもらって、ナイぜよ。だから、「ハマス?」「イスラエル?」「ユダヤ教?」「イスラム教?」「キリスト教?」「仏教?」ほぉ~。なんじゃらホイ?ちなみにボクは「無宗教」じゃね。なにやら「一神教」のような「絶対神?」なんて、ボクにはキツイぜよ。(^^;だけど、ちょっと調べると~、「あれ?、前にもこのSNSで書いたけど、この世界3大宗教って、”モトは一緒かな?”」なんて感じたけど、やっぱ「一緒?」じゃん!「ヤハウエ」さんが3大宗教の「元締め?」というか~「元祖?」でね~、それがいわゆる「神様?」だよね~。その「神様?」との契約をすると「天国?」とかに行ける?という・・・。なんかイイかも。だけど、その「神様との契約?」をこの世で実行するとなると、ちょいキビシイ戒律とか色々「シバリ?」があるのじゃ。なるぅ~。それで「女性は黒い布をかぶる~」とか~、「豚肉等の決められた肉はダメ~」とか~、「一日に数回のお祈りをする~」とかね~、「不倫はダメよ~」とか・・・まあ、これは、どこにもアルか・・・。(^^;ホホホとにかく、いくつかの「キマリ?」を守っていれば、天界に行けるらし~。その「天界」では、「なんでもアリ?」の天国らしい。また、それをお伝えした人物たちが~、それぞれ「ユダヤ教=モーゼ」「キリスト教=イエス」「イスラム教=ムハンマド」という人たちが、民衆に伝えたということじゃね。なる~、なんか学校では教わってないぜよ。そ~なら、そ~と言ってっ!!^^だから~、それぞれの「神様?」って、一緒ということじゃね。「ヤハウエ」さんじゃ。その「ヤハウエ」さんが、それぞれモー
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あなたはわたし

おはようございます。わたしは愛わたしは神わたしはすべてわたしはあなた・・・これは対象としてではなかったのですね。以前はこれを知識として掴み対象の神、あなたと勘違いしていた。私と貴方のように・・・以前、ご縁ある方に”あなたはわたし”と伝えられたとき、ツインレイという概念に拘ってたサラさんはそれも執着の一つと取って喜んでいたこともありました。でもそうではなかった・・・ずれていたのでした。この私を包むわたしすべての背後それは愛神全体・・・そしてなるほどなあと最近感じたのはこれもストーリーだけどイエスはこの表現を説く中で迫害されたようで一神教、一つの対象を神と信じていた民は受け入れられなかった。買春婦のもとにおられたこともあるようで、神だと表現する人がその行動はなんだ!と非難を浴びたみたいですね。神はこうあるべきだそのような教えを信じていたのでしょう。今も私たちの中に善とはこうだ神とはこんな感じという集合的イメージがあるように思います。でも・・・愛は無条件そのとき、この体から現れた動き状態それが愛それを人の知識や考え方の上でのジャッジが愛を見えなくしてる。曇らせている。判断入る前のこれここ・・・ここは無条件で自由何の制限もない自然そのまま。。。あなたは愛あなたは神あなたはすべてあなたはわたし
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深く安らいだ言葉たち・・・

こんばんは。涼しくなってきましたね。秋の香りを感じているこの頃です。今日は一日、この言葉たちに触れ、深い安らぎの中にいたのでした。ガヤトリーマントラ物質的な世界と 心の世界に満ちている宇宙の究極の存在をたたえます。この究極の輝き 叡智の実在を深く瞑想いたします。我らに光が与えられ 究極の実在と一つになることができますようにイエスの言葉その日には汝は、私の父の中にあり 父が私の中にあり汝らが私の中にいるということを知るだろう私たちは皆、大いなる一つから切り離されていない。最近、”私(サラ)のストーリーの中からの体験をシェアしていますがそれらを体験するごとに自力ではない、他力の中にいることを感じさせていただいたのだなとつくづくと感じています。魂というのは輪廻転生の中の記憶が詰まった集合体であって大いなる一つというのは、魂含め神羅万象すべての現れを一つと見る視点。ですから、人から魂、魂からおおいなる一つへと視点の変化により、見方や捉え方も大きく変化してくるように思います。というのは私が感じていることで、これもまた人それぞれ感じ方があるのだと思います。私という小宇宙が全てバランスを取りながら成されている全てが神秘ですね・・・過去をどれだけ悔いたとしても、それは自分個人だけのものではなくて全体の現れの一部。解釈から囚われている自分を許して、少しずつ皆それぞれが解放されたらいいなあと感じるのでした。命のダンス。生命のダンス・・・『私が神を見る目と、神が私を見る目は同じ一つの目。』この言葉を思い出し、そのような許しの目で、自分自身を見守り見てあげたいものですね。
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闇を光へ・・・

おはようございます。『サン オブ ゴッド』先日の記事のラインからこの映画が深い気づきを促されたものだと教えてもらったのですね。正直私は今までキリスト教など宗教というものは、制限を感じ受け付けなかったのです。ですから、イエスの存在というものも知ろうとしていなかったのです。でも、この映画を観ていかに宗教というものは真実を歪められて伝えられたものなのか・・・ということを知らされたのでした。イエスの十字架を背負う姿・・・死の間際になっても、”皆知らないだけなのです。赦しを与えてください”と天(神)にそう叫んでいました。イエスは均等を保つために、増えすぎた闇を一人で背負った。聖者が一人で7000万人分の光を返しているかのように・・・今、私たちがここにいるのはイエスが一人で背負ったことを一人一人が気づき、それが出来るから・・・十字架を背負うことではないですよ。それぞれが心に抱えた闇に気づき、それを光に変えることができる。不安や、怒り、嫉妬・・・もやもやする素というのは、真の自分と離れているよというお知らせ。それを悪いものとして押し込めるのではなくて押し込めてなんてないふりをすることでもなく・・・見て、感じて、許して、解き放ってあげること・・・闇を光に・・・彼とのやりとりの中で”人の本来の役割は植物と同じで、闇を食べて光に還すこと私たちがそれをすることで、イエスの十字架は軽くなるのですよ”こんな風に話していました。一人一人、それが出来る。宇宙の存在たちが様々な人を通して伝えてくださっていることも宗教の本質も・・・全ては同じ所へ行き着き、同じところから発生しているように感じます。一人一人は愛そ
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