【無料】苦手さの「受容」というものについて考えてみる話
前回の記事関連・過去記事福祉の世界にいると「受容」という言葉をよく耳にします
多く見受けられるのは、「障害受容」であったり、ターミナルケアの「死の受容」です
私個人の意見としては、この「受容」というものは時間がかかり、その人がゆっくり、時間をかけて行うことが望ましいので、支援者はもちろんのこと、身近な人でさえ、口を出すことではないと思っています
自分にこの「受容」というものを自分にあてはめた時に、
「自分の苦手さをどこで受け入れたのか」
ということを考えてみました
他者から指摘され、顔を真っ赤にして否定したり、笑ってごまかしてみたり、言いつくろってみたり…
あんまりいい思い出はないですね(´・ω・`)
ただ、これは自分の中の苦手さに対して「こうすればいい」、「自分はこんな苦手さを持ってる」と理解すると
そんな感情の波から解放されたように感じます。思えばこれが「受容」というのものなのか…
私は、人が何が自分のことを受け入れる時に一連の流れがあると感じています。というのも大学時に知った
精神科医のキューブラ―・ロス
が提唱した5段階の「死の受容モデル」が、自分の苦手さを受け入れる段階に似ており、参考になったからです
5段階は
1段階目の「否認」「隔離」
「自分はそうではない」とかたくなに受け入れられません
そのため、確証を得るために様々な行動をとります
いろんな人に尋ねたり、セカンドオピニオンや、機械の故障を疑ったり
そして、「自分は違う」と訴えても周囲はそれを受け入れることが難しいため徐々に孤立化していきます
2段階目の「怒り」
「なぜ自分だけがこうなのか」と周囲に怒りをぶつけ
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