「日本人は、殻をなくしたカタツムリです!💜」🎾🏸🚴♀️⚔️🏓🤿⛳😎😍
💎かつての日本は、家族中心主義でした。現在、家族と言えば夫婦と子供の二世帯を考える人が大半のはずです。しかし、本来の家族はそんなちゃちなものではありません。祖父母、両親、子ども、孫、の四世代、あるいは曾祖父母から曾孫までの五世代、それに叔父、叔母たちを含めた一族郎党が家族のふつうの姿だったのです。しかし、国は、その家族を分断していきます。一番大きな役割を果たしたのが、戦後の長子相続制度の廃止です。長子相続制度のもとでは、長男が家族を守る中心的存在だったのです。昔はとにかく子供がたくさんいました。一家の父親が死ぬ時期がきても家には、幼い子供たちがいるわけです。亡き父親に代わって家を支え、弟や妹たちの面倒を見るのが長男でした。長男一人が財産を受け継ぐのが長子制度のように思うかもしれませんが莫大な財産がある家などはごく少数ですから、ほとんどの貧しい家においては、長男は、家族の為に自ら犠牲になったというのがこの制度の正しい理解です。この時代は、小学校を出ただけで一生懸命に働く長男は、弟、妹たちに学ぶ機会を与えたのです。国家も家にある種の治外法権を認めていました。明治政府は、長男に対して、兵役を拒否する権利を与えていたのです。長男が戦争で死んでしまったら家族の連続性がたたれ、家がつぶれてしまうからです。ところが、戦後になると国家は、家をつぶすことに躍起となるのです。国家権力を強めるためには、強固に連帯された家の存在が支障となると考えたのです。イギリスには、「家は城なり」という法諺(ほうげん)がありますが国家権力といえども家には入り込めないのです。家を解体することなしには、国家は、隅々にま
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