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「平和のためなら戦争も辞さない」:今年も「原爆の日」にデモ集会を行った反戦・反核団体

今年も8月6日の「原爆の日」に一部の反戦・反核を訴える団体がデモ集会や演説を行いました。ネットニュースを一部抜粋してご紹介しましょう。平和記念式典会場周辺に早朝から集まったのは、「8・6ヒロシマ大行動実行委員会」の参加者ら100人以上。公園の一角を占拠し、一部はヘルメットにマスク姿で、物々しい雰囲気に包まれた。太鼓を打ち鳴らしながらのデモ行進では、式典に出席した岸田文雄首相に対し「広島から出ていけ」「沖縄を戦場にするな」などとシュプレヒコール。これに対し、「静かな8月6日を願う広島市民の会」は「8月6日は慰霊の日 静かに祈ろう」などと書かれたプラカードを掲げ、無言で抗議。広島市職員も、「平和式典挙行中はお静かにお願いします」とのプレートを示した。G7広島サミットで各国首脳が原爆資料館を訪問したことで、これまで以上に世界から注目されている広島。公園を訪れた男性は「ここは主義主張の垣根を越えて、亡くなられた人々に哀悼の意をささげる場。公園の自由利用にかこつけた集会は迷惑だ」と疑問を投げかけた。母親と慰霊碑に手を合わせていた同市中区の中学3年の男子生徒(14)は「迷惑で非常識。平和を思う気持ちが一つになれない」。名古屋市の男性会社員(26)も「慰霊の日にこんな演説をやっているのかと驚いた。主張するのは自由だが、今日のこの場ではないと思う」と話した。原爆の投下時刻に合わせた午前8時15分の黙禱(もくとう)の瞬間だけは静寂が広がったが、デモ行進などはすぐに再開。原爆ドームを向いて集団で地面に寝転ぶ「ダイ・イン」を行う集団もあった。(引用終わり)しかし、なぜ彼らはこの日にデモを行うのでしょ
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表現の自由とシュプレヒコールの問題 ―声を上げることの意味と、その境界線―

表現の自由とシュプレヒコールの問題―声を上げることの意味と、その境界線―「言いたいことを自由に言える社会」は、私たちが当たり前だと感じているようで、実はとても繊細で守るべき価値です。日本国憲法第21条は「表現の自由」を保障しています。そこには、思想・信条の自由、報道の自由、芸術・学問の自由、さらには抗議やデモといった政治的な主張も含まれます。しかし、実際の社会では「自由に表現すること」と「他人の権利や公共の秩序」とが衝突することもあります。その代表的な例のひとつが、**デモでのシュプレヒコール(大声をあげて連呼する行為)**です。■ シュプレヒコールとは何かドイツ語で「呼びかけの声」を意味するシュプレヒコール(Sprechchor)は、デモや集会などで多くの人々が声を合わせて主張を繰り返す行為です。たとえば「原発反対!」「戦争するな!」といったスローガンを繰り返し叫ぶことで、参加者の結束を示し、通行人や行政に対して強いメッセージを送ります。これはまさに表現の自由の一部であり、民主主義社会では欠かせない手段の一つとされています。■ しかし、どこまでが許されるのか?一方で、このような行為が近隣住民の生活を妨げたり、公共の場で過度な騒音を引き起こしたりすると、「他者の権利」や「公共の福祉」とのバランスが問われることになります。現実には、こうした問題はしばしば警察の判断や、各自治体の条例などに委ねられます。例えば:深夜や早朝のシュプレヒコールは制限されることがある公道や駅前など特定の場所での使用には許可が必要な場合もあるこのとき、表現の自由を「絶対的な権利」として捉えるのではなく、「他
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