教養としての近代日本思想⑤:大正デモクラシー
吉野作造:大正デモクラシーを理論的に支えた政治学者、『憲政の本義を説いてその有終の美を済(な)すの途(みち)を論ず』、黎明会を結成。国家の主権は人民にあるとする民主主義と区別して、天皇主権下のデモクラシーである民本主義を唱えます。原敬の政党内閣や加藤高明内閣の普通選挙法などの成立など、一定の成果につながり、女性解放運動や労働運動などの社会運動に発展しました。
美濃部達吉:憲法学者。天皇機関説を唱え、大正デモクラシーの中で広く支持されました。しかし、1930年代に軍国主義が台頭してくると、天皇機関説は天皇主権を否定する反逆的思想と非難され、美濃部の著書は発禁され、政府は「国体明徴声明」で天皇機関説を異端の学説と断罪しました。
平塚らいてう:青鞜(せいとう)社を結成し、雑誌『青鞜』を創刊。市川房江らと新婦人協会設立。「元始(げんし)、女性は実に太陽であった」と主張し、女性の解放を求める運動を展開しました。
母性保護論争:与謝野晶子が女権主義の立場に立ち、女性が男性にも国家にも頼らずに経済的に独立すべき、経済力がないなら結婚すべきではないとする評論を発表したのに対し、平塚らいてうが母性保護主義の立場に立ち、妊娠・出産・育児期の女性は国家が保護し、女性が結婚と職業を両立できるようにするべきであると主張しました。さらに山川菊栄(やまかわきくえ)が社会主義の立場から資本主義ではどちらも徹底できないと指摘し、男女の機会均等を図り、母としての生活を平等に保護するには社会主義を実現すべきだと主張して、約1年半にわたって母性保護論争が繰り広げられました。
身分差別撤廃運動:人間的存在の権利を奪って
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