何もしたくないときにしたいこと:ホームとアフェイ
「何もしたくない」と感じたとき、それは本当に何もしたくないのでしょうか。「何もせずにゆっくり休みたい」とか、「のんびり温泉にでも入りたい」というのが、あなたが言っている「何もしたくない」の正体なのではないでしょうか。私たちの心は仮面を付けて姿を表すことがあります。その仮面はあなたに発見してもらいやすくするために分かりやすいものとして現れることが多いかもしれません。「疲れた」「もう嫌だ」「あの人は違っている私のことを分かってくれない」「好き/楽しい」多くの人は社会生活に慣れすぎてしまっているので、プライベートな空間にいるときでさえ、頭や心の中では社会的モードのままになってしまうことがあります。仕事や他人のことでいっぱいになってしまっています。「いや、自分は大丈夫。仕事では人に合わせて働いている分、プライベートでは自分の好きなようにしている。」こんな風におっしゃる方もいるかもしれません。しかし、待って下さい。「プライベートでは自由にやっている分、仕事では周囲に合わせて働いている」なぜこのように言わなかったのでしょうか。この微妙な違いに気づきますか。まず、社会があって、その世界はストレスフルなので、そのストレスから解放されるためのものとして、プライベートを設定していないでしょうか。「社会に対するアンチテーゼ」としてのプライベートになっていませんか。社会から”逃れる”ことがプライベートになっていないでしょうか。アウェイが中心となってしまって、そこから逃げ帰るためのホームになっていませんか?反対に、それは「プライベートに対するアンチテーゼ」としての社会活動であってもよいはずですね。これは
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