何もしたくないときにしたいこと:ホームとアフェイ

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「何もしたくない」と感じたとき、それは本当に何もしたくないのでしょうか。

「何もせずにゆっくり休みたい」とか、「のんびり温泉にでも入りたい」というのが、あなたが言っている「何もしたくない」の正体なのではないでしょうか。

私たちの心は仮面を付けて姿を表すことがあります。その仮面はあなたに発見してもらいやすくするために分かりやすいものとして現れることが多いかもしれません。

「疲れた」「もう嫌だ」「あの人は違っている私のことを分かってくれない」「好き/楽しい」

多くの人は社会生活に慣れすぎてしまっているので、プライベートな空間にいるときでさえ、頭や心の中では社会的モードのままになってしまうことがあります。

仕事や他人のことでいっぱいになってしまっています。

「いや、自分は大丈夫。仕事では人に合わせて働いている分、プライベートでは自分の好きなようにしている。」

こんな風におっしゃる方もいるかもしれません。しかし、待って下さい。

「プライベートでは自由にやっている分、仕事では周囲に合わせて働いている」
なぜこのように言わなかったのでしょうか。
この微妙な違いに気づきますか。

まず、社会があって、その世界はストレスフルなので、そのストレスから解放されるためのものとして、プライベートを設定していないでしょうか。
「社会に対するアンチテーゼ」としてのプライベートになっていませんか。社会から”逃れる”ことがプライベートになっていないでしょうか。

アウェイが中心となってしまって、そこから逃げ帰るためのホーム
になっていませんか?

反対に、それは「プライベートに対するアンチテーゼ」としての社会活動であってもよいはずですね。

これはどちらか一方が正しいということを言っているのではなく、どちらか一方の解しか考えられなくなってしまっている状況に気づいてもらいたいのです。

「もう何もしたくない」という分かりやすい表現で語られる心は、社会的な行動にどっぷりと浸ってしまったので、プライベートな行動を充実させたいということではないでしょうか。

もちろん、これも反対の状況があっても考えられるはずですね。
「自分の好きなことを自分のためにもう十分やってきたのだから、もう自分のためではなくて社会のためになることをしたい」と考えることもできるのです。

ホームが自分の中心にあるから、安心してアウェイへと離れることができる
という在り方です。

「社会を中心に捧げて、自分を枯渇させてから、充電させるためのプライベート。」
というあり方と。
「自らを中心にしていっぱいに満たしてから、その余剰を周りに分け与える」というあり方。
そのどちらのあり方もあるのですね。

学校や部活、会社での活動を中心にすることを強いられるような状況だと、どうしても無意識のうちに前者になりがちです。

大切なのは、意識的に選択することです、もしくは選択できるように心がけることです。選択とはトレーニングですから。
使うほどに成長し、洗練されているきます。

あなたが「何もしたくない」と思うとき、
あなたの心は「選択」をしたいと望んでいるのかもしれません。

その選択権はあなたの手にありますか?

夕晴(U-SAY)

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