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ある日の対話ログ 第76弾 「“なんとなく”で済ませてきた社会の違和感を言語化する」

現状AIに対して人間の優位性ってほぼ身体性しかないと思うけど、仮に人間がそこに固執しだした場合の弊害って何があるだろうか?やっぱり今以上に認知力が衰えるかな?身体性という「最後の砦」に固執し、それを人間性の唯一の定義にしてしまった場合、確かに認知面を含めたいくつかの深刻な弊害が予測されますね。構造的に考えると、以下のようなフェーズで「人間側のバグ」が顕在化する可能性があります。1. 認知の「静止画化」と抽象思考の退化人間が「体験(フィジカル)」のみに価値を置きすぎると、AIが得意とする「高度な抽象化」や「論理的推論」を「血の通わないもの」として切り捨ててしまうリスクがあります。弊害: 複雑な社会問題や技術的構造を理解しようとする認知コストを支払わなくなり、「快・不快」や「手触り」といった原始的な感覚だけで判断するようになります。結果: 認知の解像度が下がり、システム全体を俯瞰する能力(メタ認知)が衰退して、感情的なバイアスに支配されやすくなります。2. 「体験」の過剰なブランド化と格差の拡大「AIにはできない体験」を重視しすぎると、食事、旅行、スポーツといった身体的活動が極端に特権化されます。弊害: 現実の肉体を使った体験が「高級品」となり、それを持たない層はデジタル(AI)の代替物に依存せざるを得なくなります。結果: 社会が「リアルを享受する身体的特権階級」と「AIの生成物に没入する認知の奴隷階級」に分断される可能性があります。3. サイボーグ化・拡張への拒絶反応身体性に固執することは、裏を返せば「生身の肉体こそが至高」という保守的な思想に繋がります。弊害: 脳インターフェー
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対話の力⑤:AI時代における対話の価値と「身体性」

対話の回数を重ねる中で、私たちが対話に何を求めているのか、その本質を改めて探求してきました。今回は、AIとの対話が選択肢として徐々に増えている現代において、人間同士の対話が持つ価値やその必要性について考察します。1. AIとの対話、その限界AIとの対話が日常に浸透するにつれて、「人間と対話する」ことの価値を改めて問い直す必要性が高まっています。AIは膨大な知識を瞬時に整理し、論理的な思考の壁打ち相手としては非常に有効です。しかし、そこには人間同士の対話が持つある決定的な要素が欠如しています。それは、単なる対面を超えた「身体性」です。「身体性」とは簡易的に表現すると、身体が環境と相互作用することによって知覚や認識、知能、学習などが形成されるという考え方です。2. 言葉の奥にある「対話主義」哲学者ミハイル・バフチンは、意味は孤立して創造されるのではなく、複数の声や視点の相互作用を通じて生まれる「対話主義」を提唱しました。この理論によれば、あらゆる発話は先行する発話への応答であり、未来の発話を予期しています。単なる情報の交換ではなく、言葉を交わす相手の声のトーン、沈黙、そして物理的な存在そのものと深く結びついています。AIとの対話では、私たちは自己の思考を整理できますが、この相手の存在を介した、より深いレベルでの意味の共同創造は起こりません。3. 身体性を介した共感と信頼AIとの対話は、私たちの思考をクリアにする助けにはなりますが、この「身体性を伴う言葉にならない感覚」を共有することはできません。人間同士の対話では、時に論理が通じない「もやもや」とした感情や感覚が、相手の身体性を介し
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身体で覚える

 「反復練習は必要ですか」と相談されました。  今日は身体で、覚える話です。  撮影は身体を、使って行います。  身体を使って行うことは、身体で 覚える必要があります。  自転車に乗ることも、同じです。  頭で理屈をわかっても、身体を 使って練習しないと乗りこなせません。  カメラを使いこなせないと、 思った通りに撮れません。  撮影位置とレンズ選択の、練習を しています。  一眼カメラなら、レンズ交換 できます。  広角レンズから望遠レンズまで、 映り方は変わってきます。  自分はどのレンズで、どんな風に 撮りたいのか。  それよりレンズ選択は、変わります。  撮影場所は同じでも直立目線、 膝立ち目線、地面に寝そべる目線で 写りは変わります。  これを身体を使って、練習して います。  反復練習することで、身体で 少しずつ覚えていきます。  反復でカメラに慣れ、レンズの 映り方に慣れます。  スナップ撮影とスタジオでの 物撮りには、求められる動作は 異なるでしょう。  自分の分野で必要な動作を、 反復練習で習得します。  身体を使うことは、身体で覚える 必要があります。  そのために、反復練習は必要。  自分に必要な動作を、 反復練習しましょう。 ★フォトマスター検定受験対策 わからない問題に答えます https://coconala.com/services/2849105 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『日刊!楽しい写真部』  写真の「困った」を解決、 楽しい学びを応援します。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 楽しく写真を学ぶ情報を毎日配信 します。 ◆日刊
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動くとアイデアが出る?

身体性とアイデアは密接な関係があるようです。散歩していたら思いつくとかもですが、頭だけ使って「動かない」とまずいという捉え方です。ではここから何が言えるか。そうです。インプットやアウトプットなどのアイデア思考の中で、身体を使うと有効=創造しやすいということが言えるかもという話です。アイデアはインプット→思考→アウトプットで出る何度も書いていますが、詳細はこちらで。一言で言えば、材料があって、考えて、出るよね、というところです。では材料を頭で生成するだけで十分か?次にこの材料をどう考えるかです。生成というのは、頭を使って「それこそ頭の中でイメージしているだけ」では、そのまま忘れたり、頭の使える領域が限られるので、数個のイメージだけで消えるでしょう。よって、メモする、外部出力をして、デジタル・アナログは一旦関係がないとして、外部に出しつつ考える。なので、落書きでも、メモでもいいのでなんでも書きながら考えるのって有効と言えるわけです。つまり、小見出しとしては、頭だけで生成してアイデアになりえるかということはきつくて、それだと「頭でっかちなアイデア」になりがちです。なんかそれっぽいけど、違う。いわばchatGPTみたいな回答っぽいと言われるかもしれません。手書きや身体を入れて刺激を与えるまた説明出来ると思いますが、ざっとした要点のみを書きます。・手書きメモなど、インプットをメモるとか、インプットしたものを考える、思考として広げるとか問いかけをする、アウトプットしてまとめるのも身体性があったほうがいいかも・その手書きや何か動かす過程、それこそジェスチャー、ビジュアルとしてのメモ、こうだよ
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