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人と自分は小さな国同士だと思ってみる

どうしてわかってもらえないのだろう…他人と接している時、そう感じてしまうことがある。たまに連絡を取り合う両親、仲の良い兄弟、数年来の付き合いのある友人、毎日一緒に働く上司にさえ、「どうしてそんなこと言うのだろう?」「そんなコミュニケーションの仕方しなくてもいいのに…」と、こっそり傷つくこともある。そんな時、私は「この人とは、この分野について文化が違うのだな」と、ある意味さっぱりとあきらめるようにしている。人それぞれ、育ってきた環境、触れてきた文化が違うのだ。ある意味、人間一人が一つの国のようなものだと思えばいい。そう考えると、分かり合えなくても仕方がないこともある。全てをわかってもらおうなんて、そもそもすごく奇跡に近いことなのだ。と、気持ちを切り替えることができる。いや、相手に「わかってもらえるはず」と多少期待しているところもあるので、完全に切り替えることは難しいが、「頭でそう理解しようとすることはできる」という表現のほうが正しいのかもしれない。人は、結局、自分が経験してきた事柄でしか思考できないといわれている。だからこそ、自分から様々な経験をつかみ取りにいくこと。いろいろな人と分かり合うためにも、自分から他の文化を学びにいこうとすること、その意識こそが大切なのだと思う。 知らないことは恐怖だ。怖い。自分のことさえ全て理解するのは難しいのに、ましてや他人の頭の中のことなど、まるで宇宙だ。だからこそ、そこに向き合い、恐れと向き合う。 そうすれば、世界がまた違ったように見えてくるかもしれない。
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自分と対話をする時間をつくる

"メタ認知能力”、という言葉があるが、要は自分との対話がうまくできているかどうか、ということだと私は思う。自分は本来、何が好みで何が苦手なのか、そしてそういった自分の本質がありつつも、経験の中で学んだものと照らし合わせ、自分自身で納得した自分なりの答えを見つける。そして選び取る。そのためには、自分と対話する機会を意図的につくることが必要なのではないだろうか。例えば、ちょっとしたことでもいい。朝は何時に起きて、出勤までの時間はどのように過ごしたいのか。時間に余裕をもって起床し、瞑想をしたりゆっくりとコーヒーを飲みながら、一日のイメージを組み立てるのもよし。睡眠時間重視で、起床後は効率的にぱっと準備をし、爽快に家を出るのもよし。本当はどのような過ごし方をしたいのか、そして今は自分で納得した過ごし方ができているか、そんな些細なことでも自分自身と相談してみるとよいと思う。そして、自分は一日の中で何に取り組む時間を確保したいのか?誰と過ごす時間をつくりたいのか?一度徹底的に考えてみるのもよいと思う。自分の新たな価値観を発見するかもしれない。自分の様々な面を認知することで、相手のこともより理解できるようになると、私は思う。人のことよりまずは自分のこと。自分のことを理解し気持ちを整理することで、より人と向かい合う覚悟ができると思う。
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意識して自分の小さな軌跡を振り返ってみる

私は、1年前から歯の矯正治療をしている。1か月ごとに歯医者へ通い、矯正歯科医の先生に診てもらうのだが、この”1か月”という限定期間が、ある意味で自分を振り返るよい機会になっている。例えば前回の矯正治療から今回の矯正治療までの1か月間、私はどこで何をしていたのか?そう振り返ってみる。ちょうど最近の1か月は、治療日から3日後に友人と韓国へ行き、初めての地をあちこち回った。自由時間には、初めて海外で一人きりで電車やバスに乗り、現地の人達とコミュニケーションをはかった。その更に1週間後には、会社の人たちと1泊2日で温泉宿へ。素敵な美術館へも足を運び、普段はあまり目にしない日本画を堪能した。そして更に次の週には、仕事の用事で大阪への出張もあった。一人で担当する仕事だったため、責任を感じながらも限られた出張時間内に形にするため、全力で課題に取り組んだ。そういえば、あるアイドルグループと出会い、新たな推しができたのもこの1か月だ。初めて行ってみたエステで、気が合いそうなエステティシャンのお姉さんと出会ったのも、思えばこの1か月だった。こう振り返ると、ああ、私はこの1か月の中でいろいろな経験を選び取り、体験したのだな。前向きに、確実に未来へと進んでいるようだな。そう思い、ちょっとだけ安心する。目の前のことに追われすぎると、息をつく間もなく1日が終わり、あっという間に1か月だって過ぎてしまう。そんな毎日の中で、少しでも時間をつくり、区切りをつけて自分を振り返ること。自分の小さな軌跡を観察すること。歯科矯正が終わってしまっても、忘れずに習慣にしておきたいと思う。
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自分の力で思考し選択するということ。

昔から、答えが限定されていない問いが好きだった。かっちり答えのある数学も、義務教育期間は9年間は学校へ通うべきだなんて考えも、「何でそうなの?誰が決めたの?」「何でそう決めつけられなきゃならないの?」と、生意気に心の中で意見していた。その一方で、答えが限定されていない文学や音楽、芸術には心惹かれた。「あなたがどう捉え、どう考えるかは自由。」「好きなように感じなさい。」そう言われているようで、そして自分の生き方やセンスが試されているようで、ちょっとドキドキした。そんな、ちょっと心がドキッとする体験を、大人になった今でも追い続けたい。それが自分の本質なのだと最近感じる。そして、こう思うのは自分だけではないんじゃないか?周りにももしかしたら、無数の中から選び取る自分のセンスを試してみたい、それを選択するという新しい自分に出会ってみたい、そんなトキメキを持っている人がいるのではないか?そう思う。相手に対して、何でも限定して「これはこう。こういう時はこうすべき。」と限定するのではなく、一定の枠は定めつつも「それじゃあここから、あなたならどうする?」と委ねてみるというのも、大切なのかもしれない。自分自身で選んだうえで決める。周りからの要望にまるっと従うのではなく。自分の力で考え、何を選択するか自分に指示するということは、大人としてこの世の中で生きていくために大切なのではないだろうか。仕事などで、たとえ外部からの指示を受けるという場合でも、いったん自分の中で咀嚼し、改めてそれを自ら「選び取る」ようなプロセスをつくること。そこに自分の意思を入れること。自分のリーダーは、あくまで自分。決めたこと
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今日のコトバ(13日目「悩むor考える」)

「悩む時間を、考える時間にしようぜ」説明:”悩む”って何も生み出さないからね。それよか、「考える」ほうが意味ある。自分の世界に閉じこもってると、悩む。周りに意識のアンテナを張り巡らせて次どうするか?を思考していると、考える。ただそれだけの違い。
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