自分を救えるのは自分自身だけ、と前にも書きました(語弊があったからちょっと加筆)。
前ブログで書いてますけどねw人間は苦しいと、救われたい救われたいと思うものですよね。この状況を打開することは出来ないか?なにか方法は?って考えるのも、救われたいからでしょ?私も苦しいときに、宗教に頼ろうとしたことありますよ。お寺さんで話聞いてくれないかな?と先ず思ったけど、そういうお寺って近くにはなさそう。まあなー現代の寺ってそのような役割はもうしてないかもなーとも思った。仏教って、楽になれる生き方の教えみたいな哲学だったりするから。まあネット検索しても、学問と出るくらいでさ。けど、寺は無理だな。勿論、神社はそういう宗教ではないから、この場合は向かないし。そうすると教会かー。キリスト教の教会。カトリックなのかプロテスタントなのか知らないけど、一度だけ行ってみました。うんダメだねw少なくともあの神父だか牧師だかではダメだ、と思った。まあね、何かの時には本に答えや救いを求めて来たけれど。それが一番まともだもん。先人の知恵がさ?まあだから、加藤諦三さん著の「愛されなかった時どう生きるか」って本を20代後半に読みまして、あーやっぱり愛されないことってあるんだな、その場合は諦めるしかないんだなって事実として捉えることが出来ました。つまり、自分の求める「愛」というものを得られない親というのが存在するってことへの納得だね。その時点で、親からの愛をいつまでも求めることから卒業しました。人間は、それでもまだ可能性があるんじゃないかと思いたいから、親に対してのほんのちょっとの期待の欠片ね?けど、納得出来たから解決しました。別に暗ーく納得したんじゃなく、そうなんだな、無理なものは無理なんだなっていう
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