問題解決という呪い
比較的最近、私はある教会に行きました。そこの伝道師さんは話しかけやすい人です。私は(あつかましくも)伝道師室の扉をノックして、話をし始めました。その伝道師さんは仕事がたまっていて忙しそうでしたが、時間を割いて私の話を聞いてくれました。そして、助言をくれました。私にはそれは的外れに感じられましたので、その助言を「却下」しました。すると彼は言いました。「アムールトラさんの話を聞いているのに、ぼくの助言を聞こうとしない。ぼくだって時間を割いているのですよ。アムールトラさんの中で結論が出ているならぼくに聞く必要はない」。そのとき私はとっさに言葉にできませんでしたが、私の気持ちは「話を聞いて欲しい。何かを解決して欲しいわけではない」というものだったと思います。そしてその伝道師さんの中では「人の話を聞くとは、相談に乗ることであって、解決案を示すこと」という暗黙の前提があったということでしょう。私が大学院生であった2003年に、ポアンカレ予想は肯定的に解決されました。私は、翌年頭にあった、当時の3次元多様体論の日本での第一人者であられた小島定吉先生(東工大、当時)による東大での90分間のセミナーを聴いています。「ポアンカレ予想の解決の日本初紹介」を生で聴いたことになります。歴史の1コマにいさせていただいたことを思わされます。数年後、これはNHKが番組にして、日本全国の人の知るところになりました。いろいろ気になる点はありますが、一番気になったのは、この番組を成立させている世間の背景です。「数学者って何をやっているのかな。数学と言えば、学生時代、たくさん問題を解かされたなあ。そうだ!世界的な数学
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