ほどほどのデザイン
高校生になる息子が授業で読んだという話を紹介してくれました。佐藤卓さんの「塑する思考」という本の一説で「ほどほどのデザイン」という文章です。完成しきって「空き」がないものは、一方的に「こう使え!」と言われているようで、美しいが実用する気にならないものは、「空き」がないからかもしれない。「ほどほど」というあいまいな日本語の中に実はデザインが成すべき大切なヒントが含まれているように思う。そして「ほどほど」を、日本古来の日常生活道具にかいま見ることができる。こういって”箸”と”風呂敷”を例に挙げている。”箸”については、ただの二本の棒で、スプーンやフォークのように持ちやすいように取っ手の部分にふくらみがあったりするわけでもない。”ここにこの指をあててください”と指し示すデザインは何もない。
しかし中国や韓国のほぼ棒状の箸とは違い、先を細くし、繊細な動きに対応できるよう進化した。ほどほどのところでとどめていながら徹底的につき突き詰めようとする日本人らしさが垣間見える、と。
”ふろしき”についても、ただの一枚の布が何十通りもの包み方であらゆるものを包め、使わないときには小さくたたんでおける。バッグのように持ち手をつけたり袋状に縫ったりしていないからこそ、さまざまな形に適応できるわけです。また、一枚の布にとどめているからこそ、ふろしきに施されるグラフィックデザインは無限の可能性にみちている、と。
「ほどほどのデザイン」でとどめることで「考える力」や「適応する力」を引き出している。やりきることも承知しながら「ほどほどのレベルを徹底的にデザインする」というとらえ方をしている。こんな文章です。す
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