絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

2 件中 1 - 2 件表示
カバー画像

思いを伝える事、いと難し

昨日は9月9日、「重陽(ちょうよう)の節句」でした。慶びの日ですね。そして、その良き日生まれの方にお会いしてきました。夕方には草津(滋賀県)名物「うばがもち」のお土産をいただき、口福でした。本題にまいりましょう。文章を書くのは本当に難しいものだなぁと、改めて思います。過去に、エッセイなど投稿したりしていたのですが、掲載されたものが、加筆されもう全く別物のような文章になっていたのを目にして愕然としたことがあったのです。正に、まさかや!の事態でした。編集者に連絡すべきかとも思ったのですが、印刷物になってしまっているし、モヤモヤしたまま結局は何もしないままでした。友人が、その文章を読んでくれたようで、違和感を感じて連絡をくれました。「あんな風に考えてないよね」と。その言葉にどんなに救われたことか。それ以来、加筆修正ありと記載されているものには、投稿することはないですし、書くこと自体にも慎重になりました。それでもやはり、こちらの意図することや思いを伝えることは難しいですね。鑑定結果をお伝えする文章も、依頼者の方に寄り添ったアドバイスとなりますよう気を引き締めてまいります!今後ともよろしくお願いします。
0
カバー画像

※2026/1/19転載漏れ記事です※【近況説明④】現状:周りの理解を得るために「伝えること」の大切さ

【近況説明④】現状:周りの理解を得るために「伝えること」の大切さ  ●とにかく関わる人たち全てに対話を求め続けた日々  ③からまた更に数ヶ月が過ぎてしまった。 相変わらず、データとしては常に危篤、いつどうなってもおかしくない父。 年末についに医師が、「この数値で家に帰せない」と宣言し、入院となった。 症状は悪化しているものの本人は相変わらずである。 相変わらず受け入れは難しいようで、そろそろ最期に向けての言葉だとか、 家の整理の事等を言ってくれても良いと思うのだけれども、 「あちこち振り回されて気がついたら入院していた」 だとかまあ、とにかく相変わらずである。 このままが良いならこのままで良いのだろうと、 そろそろこちらも「父に何も求めない」の境地に行き着いてしまった感がある。 この空白期間は、タイトル通り、 周りの理解を得るための「伝えること」の大切さ に終始していた。 私はとにかく「伝えること」を諦めない性格で、 たとえば訪看・訪問介護のスタッフやケアマネや医師、 それぞれと情報を交換しあう事を常に求め続けたし、沢山の対話をしてきた。 父のダブルスタンダードな性格故に、 それぞれの父への認識と、私の父への認識に大きなズレがあった事がその対話を求めた大半の理由である。 大げさだなあとか、どっちが本当かだとか、色々な雰囲気を感じながらも、 それでも「もっと付き合っていけば父の事がわかると思う」と一歩も引かなかった。 逆に、「わかった時にしまったと思わない為に伝えている」とも伝えた。 結局はそれぞれの対話が良い方向に結果が出て、皆からあとになって、 「言っていた通りだった」という
0
2 件中 1 - 2