最近、「失うこと」が学びのテーマとしてあるような気がします。
「家、ついていっていいですか」という番組があるのですが、
何気なくTVを付けた時にやっていたので、途中から観たのですが
その家には、母親がご病気で他界されていて、
父と大学生の姉と弟で暮らしているご家庭でした。
その母は生前に、
3人に向けて自分がこの世からいなくなった時のために
書き留めていた、家族に向けてのノートがありました。
父へ
姉へ
弟へ
それぞれに書き残していらっしゃいました。
子どもたちが20歳になった時に渡す予定だったとのことで、
自分がまさか亡くなるかもしれないと思って書いていたのではない様子でした。
そのノートも誰も存在を知らず、たまたま遺品整理をしている時に
父が見つけたものなので、亡くなってから1年後に発見されています。
そのノートには、子どもたちへの愛しているの言葉がびっちり書いてあります。
父には、感謝と愛情の言葉がびっしり3冊もあります。
家族は、そのノートを宝物として、自分が人生の壁に当たった時に
読んでいるそうです。
今はいないからこそ、その言葉一つ一つを何度も何度も味わいながら読んでいるご様子でした。
今は「いない」からこそ、「限られた言葉」を大事に味わえるのだと思いました。
普段から一緒にいれば、いつものことだから、「愛している」も「大丈夫」という言葉も
20歳前後の若者には「あーはいはい」と軽く受け流すことも多いでしょう。
「いない」「失う」ことで初めて味わえるものもあるのだと思います。
私も昔心理学を学んでいる頃には、先生からの言葉を何度か頂いたことがあります。
当時はグループワークだったので、気軽に個人的な質問はできません。
だからこそ、先生からのアドバイスはその後も何度も何度も自分の中で反芻して、考えて、
日常で意識して、そして、気づきとして深めることもできました。
気軽に聞けない
だからこそ、その言葉を思い出し、味わえたのだと思います。
「ない」とか「失う」とか「いない」ということは、同時に自分にもたらすものも「ある」という
ことを教えてくれています。
神様は本当にすごいもので、この世をそうやって深く創り上げたのだなと感心してしまいます。
大切な人がいなくなった時の悲しみやショックは大変大きなものかと思います。
ただ、少し落ち着いたときには、そんなことも考えてみたらよいのではないかと思いました。
「ない」ということを経験するからこそ、
大事な「何か」に気づくこともできます。
失わなければ得られないものが世の中にはあります。
健康もそうでしょう。
恋人も
満たされ過ぎると使い方が「荒く」なります。
人生には時に「失う」時期も必要なのだと思います。
同時に
「失敗」を学ぶ時期もあると思います。
成功だけの人生では、深みが出ません。
一生けん命にやるからこそ、失敗の時期に意味があると思います。
軽い日常では、
「あーこーすればいいのね」と正解だけを求めて
でも、その正解はすぐに忘れるでしょう。
浅い「知識だけの正解」は応用が利きません。
失敗しながら、考えて、味わって、時間をかけて、感情を感じながら
酸いも甘いも体験して、やっと自分の骨身として吸収されていくような気がします。
母がいない、父がいない
そんなご家庭もあるでしょう
途中で裏切られる人もいるでしょう
恋人がなかなかできない人もいるでしょう。
その環境で、自分は何を味わい、何を得られるのでしょうか
親ガチャという言葉がありますが、
そのにとどまって恨み続けるより
ゆとりが出てきたなら
少しそんな意味を考えてみてもいいかもしれませんね。