「小学校に上がる頃、自分から封印しました」
ある方が、そう話してくれたことがあります。
なぜ封印したのか
子どもの頃、その方には見えているものがありました。
人ではないものの気配、色や形になって届く音、まわりが気づいていない何か。
それを自然に口にしていたのは、就学前までだったそうです。
小学校に上がる頃、自分から言わなくなった。
理由ははっきりしていました。「変だと思われる」「怒られる」。そう感じたからです。
誰かに禁じられたわけではありません。
まわりの空気を読んで、自分で閉じた。その判断を、その年齢の子がしている。
私はここがいちばん重たい部分だと思いました。
封印は、なくすことではない
よく誤解されるのですが、封印は「消す」ことではありません。
見えなくなったのではなく、見ないことにした、という状態です。
感度そのものは残っているので、大人になってから別の形で出てくることがあります。
急に人混みで消耗するようになる。
特定の場所に入ると具合が悪くなる。
理由の分からない既視感が増える。
本人は体調の問題だと思っています。
でも、閉じていたものが動き始めているだけ、ということが少なくありません。
開くかどうかは、本人が決めていい
ここで大事なのは、開くことが正解ではないということです。
閉じたまま生きていける人もいます。
無理に開こうとすると、日常のほうが立ちゆかなくなることもあります。
反対に、閉じていることのほうがしんどい人もいます。
感じているのに感じていないふりを続けるのは、単純に体力を使います。
どちらが良いという話ではなく、自分がどちらなのかを知ることのほうが先です。
大人になってから、どう扱うか
閉じたまま30年、という方も珍しくありません。
その場合、問題は「見えるかどうか」ではなくなっています。
自分の感覚を信じない癖がついているので、見える以前に、疲れていることにも気づけない。
ここを戻すのが先です。
体の反応を拾えるようになってから、その先を考えたほうが安全です。
再び使うときの距離感
開き始めた人がつまずくのは、距離の取り方です。
全部を受け取ろうとすると、日常が回らなくなります。
反対に、必要なときだけ使う、という距離を持てる人は消耗しません。
コツは、受け取る量ではなく「受け取る時間」を決めることです。
朝の10分だけ、人と会う前の数分だけ。そうやって枠を決めると、生活のほうが壊れません。
子どもが同じ状態にあるとき
自分が封印した経験のある方は、お子さんが同じことを言い出したときに戸惑います。
否定すれば、自分がされたことを繰り返すことになる。
肯定すれば、その道を勧めることになるのではないか。
その方が娘さんに伝え続けていたのは、こういう言葉でした。
「否定する必要はない。でも、肯定を強制する必要もない。ありのままを受け止める」
自分が閉じた経験があるからこそ出てきた言葉だと思います。
どちらにも寄せず、ただそこにあるものとして置いておく。それが一番むずかしく、一番効きます。
封印を解くときに起きること
実際に開き始めると、最初に来るのは「疲れ」です。
受け取る情報量が増えるので、慣れるまでは消耗します。
ここで怖くなって、もう一度閉じる人も多いです。
段階を踏んで、扱える範囲から戻していくほうが安全です。
一気に開けるより、少しずつのほうが結果的に早く落ち着きます。
自分がどの段階にいるか
閉じているのか、開きかけているのか、もう開いているのか。
これは自分ではなかなか分かりません。
子どもの頃に閉じた「見える・感じる・わかる」感覚を、もう少し整理してみたい方へ。「子どもの頃に封印した見える力を読み解きます」では、あなたの体験を出発点に、その感覚がいつ閉じ、いまどんな場面で表れているのかを一緒に整理しています。
無理に開く必要はありません。
まず、自分が今どこにいるのかを知るところからで十分です。