一週間、
仕事をして、職場の人と話して、
いつも通りの毎日を過ごす。
人と話していないわけじゃない
それなのに、ふと気づくと、最近自分の話をしていない。
今日あったこと。最近考えていること。好きなものの話。
誰かに聞いてほしいことがあっても、
わざわざ連絡するほどのことでもない気がして、
そのまま一日が終わっていく。
友達がいないわけでも、家族がいないわけでもない
でも、自分の話をすることは案外むずかしい。
関係性があるからこそ、話せないこともある。
心配をかけたくなかったり、
相手の反応が気になったり、
話したことで関係が変わってしまうのが怖かったり。
いつも聞き役になっていて、
自分の話をするきっかけがない人もいるかもしれない。
誰かに自分の話をするとき、
私たちはたくさんのことを考えている。
このこと話しても大丈夫かな
相手はどう思うだろう
負担にならないかな
勇気を出して話してみても、
思いがけない言葉が返ってくることもある。
「そんなことで悩まなくてもいいのに」
「考えすぎなんじゃない」
「わかる、わたしも!」
もちろん、悪気があるわけではないのだと思う。
ただ、私たちはいつも、
誰かの意見やジャッジを求めて話しているわけではない。
悲しかったことを話したとき、
悲しむべきだったかどうかを判断してほしいわけじゃない。
「私は悲しかった」
その気持ちを、まずはそのままに受け取ってほしいだけのこともある。
自分の意見をいったん横に置いて、相手の話を聴く。
それは、何でも肯定することとも、安易に共感することとも違う。
その人が何を感じ、何を経験したのかを、
自分の物差しで測らずに知ろうとすること。
私は、そんなふうに人の話を聴いていたい。
カウンセリングという時間には、
友達や家族との会話とは違う土台がある。
そこには、話を聴くことを仕事として引き受ける人がいて、自分の話をするために用意された時間がある。
相手の機嫌を取る必要も、
話題を提供する必要も、
同じだけ話を聞き返す必要もない。
その時間は、
あなたがあなたのことを話すために使っていい。
何かを解決しなくてもいいし、
話し終えるまでに答えを出す必要もない。
もちろん、一緒に考えたいことがあれば、
少しずつ気持ちを整理していくこともできる。
大人になると、自分の話をする時間は、
意識してつくらなければなかなか持てない。
仕事のこと、家族のこと、周りの人のこと。
誰かのために言葉を使うことはたくさんあっても、
自分のために言葉を使う時間は、どれくらいあるだろう。
ただ話を聴いてもらう。
それだけのことが、一見すると頼りなく思えるかもしれない。
けれど、自分の話を誰かにちゃんと聴いてもらう時間を重ねるうちに、少しずつ変わっていくものがある。
何かが解決したわけでも、
毎日が劇的に変わったわけでもない。
それでも、
自分のことを話せる場所があるという安心感が、
いつの間にか日常を支えてくれるようになる。
───
一週間を終えた金曜日の夜。
予定のない週末。
明日からまた仕事が始まる日曜日。
まだまだ踏ん張らないといけない平日の夜。
ふと誰かと話したくなったら。
特別な悩みがなくても、
話すことがまとまっていなくても、
気負わずに電話をかけてもらえたら嬉しいです。
今日あったこと、
ちょっと嬉しかったこと、
最近気になっていること。
ずっと誰にも話せなかったことも。
そのときのあなたの言葉を、
丁寧に聴きたいと思っています。
「何かあったら、ここで話せる」
そんな場所があるという安心感。
そして、電話を切ったあとに、
「また明日からも、なんとかやっていけそう」と思えること。
私との時間が、また日常へと歩いていくための、小さなお守りのような存在になれたら嬉しいです。