恋愛とは、相手をありのままに見て、その人自身を好きになることだと思われています。
けれど本当は、私たちは相手のすべてを知ることなどできません。
相手の言葉、表情、振る舞い、声の響き、返信の速さ。そうした限られた情報を材料にして、「この人はきっとこんな人だ」という人物像を自分の中に作り上げます。そして多くの場合、私たちが恋をするのは目の前の相手そのものではなく、心の中に作ったその人のイメージなのです。
優しくされたら「この人は思いやりのある人だ」と考えます。
連絡が続けば「私を大切に思ってくれている」と感じます。
偶然が重なれば、「運命の相手かもしれない」と意味を見いだします。
しかし、その解釈が相手の本心と一致しているとは限りません。私たちは、相手の行動に自分の願望や過去の経験、理想の恋愛像を重ねて見ているからです。
だから恋が始まったばかりの頃は、相手が実際以上に魅力的に見えます。まだ知らない部分が多いほど、空白を自分にとって都合のよい想像で埋められるからです。
そして関係が深くなり、現実の相手が自分の作ったイメージと違うと分かったとき、人は「裏切られた」と感じます。
けれど相手が途中で変わったとは限りません。相手は最初から同じ人だったけれど、こちらが見たい部分だけを見ていた可能性もあります。
これは「恋愛はすべて勘違いだから意味がない」という話ではありません。むしろ、ある程度の美しい勘違いがあるからこそ、人は誰かを特別に思い、大切にしようとするのではないでしょうか。
長年仲のよい夫婦も、相手を完全に客観的に見ているわけではないと思います。
「この人は根は優しい」
「不器用だけれど、私のことを大切にしている」
「きっと悪気はなかった」
そのように、相手を好意的に解釈する力が関係を守っていることがあります。言い換えれば、一生ラブラブな夫婦とは、お互いを幸せな方向に“勘違い”し続けられる二人なのかもしれません。
反対に、同じ出来事でも、
「私を軽く扱っている」
「どうせ裏切るつもりだ」
「本当は私のことが嫌いなのだ」
と悪い方向に解釈し続ければ、実際には愛情があっても関係は壊れていきます。
恋愛を左右するのは、相手の性格だけではありません。相手にどのような意味を与えるかという、自分の心の働きも大きいのです。
性格がよい人だけがモテるわけではないのも、このためでしょう。人を惹きつけるのが上手な人は、相手に「私は特別に思われている」「この人なら私を幸せにしてくれる」と想像させるのが上手です。
ただし、幸せな解釈と現実逃避は違います。
優しく解釈することは愛情ですが、明らかな嘘や無責任な行動まで都合よく美化してしまえば、自分を傷つけることになります。
大切なのは、自分が見ている相手像と、実際の相手の行動との間に、あまりにも大きな差がないかを時々確かめることです。
私はこの人自身を見ているのだろうか。
それとも、「こうであってほしい」という願いを、この人に重ねているのだろうか。
恋愛とは、相手を知っていくと同時に、自分がどんな物語を信じたい人間なのかを知っていくことでもあります。
完全に幻想のない恋愛など、おそらくありません。
だからこそ、現実を見失わない程度の美しい幻想を、二人で長く育てていけること。それが幸せな恋愛なのかもしれません。