理由もなく、ふと神社に行きたくなる。
そんなふうに思われたことは、ありませんか。
それは、単なる気まぐれではないかもしれません。
今日は、その気持ちの話をさせてください。
心が、置いてきたがっています
日々の暮らしの中で、わたしたちは知らないうちに、いろいろな感情や疲れを溜め込んでいます。
神社に行きたくなるとき、それは心が「一度、これを置いてきたい」と、静かに言っているのだと思います。
参道を歩くだけで、少し呼吸が深くなる。
木々の間を抜ける風に、肩の力がふっと抜ける。
……これは、気のせいではないと思っています。
行きたいと思った時点で、もう心のほうは分かっているのです。
頭が理由を探しているだけで、足のほうが先に向いている。
そういうことが、人にはあります。
それに、神社という場所は、こちらが何もしなくていい場所です。
誰かに用件を伝える必要も、気を遣う必要もありません。
黙って立っていても、誰にも不審に思われない場所というのは、実はそう多くありません。
疲れているとき、人がああいう場所を求めるのは、自然なことだと思います。
「呼ばれている」と感じる神社があるなら
行きたくなる神社が、いつも近所とは限りません。
特定の神社の名前が頭に浮かぶ。写真を見ただけで、心が惹かれる。
そうしたときは、その場所となんらかのご縁があるのかもしれません。
ただ、無理にすぐ行かなくても大丈夫です。
「いつか行きたい」という気持ちを持ち続けているだけで、そのご縁は静かに育っていきます。
行けないことを、焦らないでください。
行きたいと思っている状態は、それ自体がもう、つながっている状態だと思います。
遠くの神社が思い浮かぶときは、いまの場所から少し離れたい、という気持ちが重なっていることもあります。
それも含めて、受け取っていいのだと思います。
参拝は、お願いごとの場だけではありません
神社というと、願いごとをする場所というイメージが強いかもしれません。
けれど、本当に大切なのは、そこで自分の心と静かに向き合う時間のほうです。
何をお願いしたかよりも、そこでどんな自分に気づいたか。
それが、神社が渡してくれるいちばんの贈りものだと思っています。
お願いごとをするなとは言いません。
ただ、お願いをしていると、たいてい、自分が何に困っているかが分かります。
言葉にして初めて、「ああ、わたしはこれが不安だったのか」と気づく。
……お願いごとは、神様に伝える前に、まず自分に伝わっているのです。
もし、いま向き合っているものを一緒に見てみたいと思われましたら、いつでもお声がけください。
急がなくて、大丈夫です。
Le Clair(ルクレ)より