3つと、2つ。今夜開いた一枚の絵の中には、その数がはっきり描かれています。こんばんは、月詠ソラです。今夜開くのは聖杯のスート7枚目、「聖杯の5」です。35弾「聖杯の2」・39弾「聖杯の9」・40弾「聖杯の10」・45弾「聖杯の4」・51弾「聖杯の6」・55弾「聖杯の8」に続く1枚で、これで聖杯も剣・金貨・杖と同じ7枚になります。
もしあなたが、
・「聖杯の5=後悔・喪失・悲観」と聞いて、もうこの恋は取り返しがつかないところまで来てしまったのではと怖くなっている
・大切なものを失ったという感覚ばかりが大きくなって、まだ残っているものにまで気持ちが向かない
・過ぎてしまったやり取りを何度も思い返しては、あのときこうしていればと悔やんでばかりいる
・この先に進む道があるのかどうかも分からないまま、ただうつむいて立ち止まっている感覚がある
このどれかに心当たりがあれば、今夜はこの一枚を、ゆっくりたどってみようと思います。
■「聖杯の5」は恋愛占いで「後悔・喪失・悲観」と誤解されやすいカードです
タロットの「聖杯の5」は、黒いマントをまとった人物が、地面に倒れてこぼれた3つの杯を見つめ、うつむいている絵柄です。後ろには倒れていない2つの杯が残っており、さらにその奥には川にかかる橋と、対岸に小さな城が描かれています。人物は後ろを振り返っていません。黒いマントと、うなだれた姿勢、こぼれた杯という組み合わせから、恋愛占いでは「これが出たらもう取り返しのつかない失敗をした」「終わった関係を嘆いているだけの、後悔と喪失のサイン」と、絶望そのものを言い渡すカードとして読まれがちです。けれど、こぼれた杯とまだ立っている杯、その数をあらためて見ていくと、そこまで言い切れる話ではないことが分かってきます。
■「聖杯の5」が伝えているのは、確定した絶望でも、取り返しのつかない失敗でもありません
よく見ると、地面に転がっているのはたしかに3つの杯ですが、後ろにはまだ倒れていない2つの杯が、しっかり立ったまま残っています。5つのうち失われたのは3つで、2つはまだそこにあります。すべてを失ったわけではなく、半分よりわずかに多い分だけが、いまこぼれてしまっているだけです。さらに視線を奥へ向けると、川には橋が架かり、対岸には小さな城まで描かれています。渡っていく先は、すでに絵の中に用意されているのです。ただ、この人物はまだ後ろを振り返っていません。振り返らないまま立ち尽くしているのは、道がないからではなく、こぼれた3つの杯から、まだ目を離せずにいるだけなのかもしれません。涙に濡れた目で近くを見ると輪郭がにじむように、いま2つの杯や橋の存在が、ただ霞んで見えているだけということもあります。取り返しのつかないことが起きてしまったと感じている夜にも、これと近い構図が視えることがあります。それは失ったものの分量そのものが多すぎるからというより、悲しみがいま視野を狭くしていて、まだそこに残っている2つの杯や、すでに架かっている橋のほうへ、目が向いていないだけ、ということが少なくありません。この絵の中に描かれた、こぼれた杯とまだ立っている杯の数を、ご自身の目でも数え直してみたい方には、コンテンツマーケットに置いている入門記事も目を通してみてください。
■ 聖杯の5が示す、二つの色
聖杯の5の鑑定では、次の2色が重なって視えることが少なくありません(どちらか一方だけのこともあります)。
煤竹色(すすたけいろ)が、うつむいた視線ににじんでいるとき
くすんだ、深みのある褐色です。煤色の「崩れそうな内側を見せないために保たれている表面の硬さ、虚勢そのもの」とは違って、煤竹色は虚勢や防御の色ではありません。実際に失った分量よりも大きく、重くのしかかって見えている、悲嘆特有の視野の歪みそのものを表す色です。
鳥の子色(とりのこいろ)が、まだ立っている2つの杯や、遠くの橋ににじんでいるとき
淡く温かみのある、生成りに近い色です。常磐色の「変わらず続く誠実さ、常緑の安定」とは違って、鳥の子色は関係の質を保証する色ではありません。灰梅色の「あえてそこに残していったものがまだ在る、その選び方の跡」とも違って、こちらは誰かが選んで残した跡ではなく、ただ視線がまだそちらを向いていないだけで、以前と変わらず立ったまま存在し続けているものそのものを表す色です。
■ 実際の鑑定で視てきたパターン
聖杯の5のご相談では、こんな言葉をいただくことがあります。「別れたあとも、あのとき自分がこう言わなければよかったと、同じ場面ばかり繰り返し思い返してしまって、他に何が残っているのか考えられなくなる」。同じような感覚を口にされる方は、これまでにも何人かいらっしゃいました。35弾「聖杯の2」は、双方が同じ高さで釣り合っている交換の場面でした。39弾「聖杯の9」は、一人の内側だけで満足が完結している場面。40弾「聖杯の10」は、複数人で外側の理想を仰ぐ場面です。聖杯の5は、そのどれとも違って、一人が下を向いたまま、こぼれた3つだけを見つめている場面になります。45弾「聖杯の4」も同じく一人分の内省でしたが、あちらは新しく差し出されたもの、つまり4つ目の杯へまだ視線が向き直っていない、感情としてはニュートラルな没頭でした。聖杯の5にあるのは没頭ではなく、はっきりした喪失感です。しかも向き直っていない先にあるのは、新しく差し出された何かではなく、もとから自分の後ろに残っていた2つの杯と、すでに架かっている橋です。51弾「聖杯の6」には、退場していく人物の姿がありましたが、聖杯の5の絵の中に、去っていく人はいません。55弾「聖杯の8」は、自分の意志ですでに一歩を踏み出した移動でした。聖杯の5は、まだその一歩を踏み出す前、振り返ってすらいない静止の場面です。うつむいている時間そのものは、悲しみとして自然なものだと思います。ただ、その視線がいつまでもこぼれた3つだけに留まり続けると決まっているわけではありません。
■ 今夜のあなたへ
「聖杯の5」は、取り返しのつかない失敗を言い渡すカードでも、後悔だけが正しい答えだと決めつけるカードでもありません。こぼれてしまった3つの杯を悼む時間があってもいいのだと思います。それでも、まだ立っている2つの杯や、すでに架かっている橋は、この絵の中でずっとそこにあり続けています。いま無理に顔を上げて先を見ようとしなくても、それらが消えてしまうわけではありません。振り返る早さを急いで決めなくても、今夜はうつむいたままの時間を、そのまま抱えていて構わないのかなと思います。
聖杯のスートもこれで7枚目、剣・金貨・杖と同じ数に並びました。次に開いてみたいのは、しばらく間が空いている杖のスートに戻って、まだ扱っていない「杖の10」です。
もし今、聖杯の5があなたに示した意味を、もっと詳しく知りたくなったら。
誰にも打ち明けにくい事情を抱えた恋ほど、後悔だけが実際より大きく見えてしまいやすいものです。そうした複雑な事情のもとにある本音は、鑑定メニュー「その恋の行方と本音を視てお伝えします」で、1,500字ほどの鑑定書にして24時間以内にお届けしています。
まだ立っている2つの杯に、いつか目が向きますように。1週間ほど経って、色がどう変わったか、また教えてくださいね。
月詠ソラ