美輪明宏さんの思い出 渋谷ジャンジャン

美輪明宏さんの思い出 渋谷ジャンジャン

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“時代の空気が変わってしまいそう”と不安を覚えました。

シャンソン歌手で俳優、演出家の美輪明宏さん91歳老衰。

最後は“ありがとう”と言って旅立たれた。さすがだと思いました。

心よりご冥福をお祈りします。

十代、二十代の頃、よく美輪さんの著書を読みました。1冊読んだら次、また次、と探したくなるものばかりでした。

美輪さんの人生観や平等への強い信念と芸術観が染み渡るようでした。

当時の私は、セツ・モードセミナーという美術学校に通っていた超苦学生でした。この時代が私の青春です。いつか記事にします(笑)

何故、苦学生になったのか、というと、私は美術の道に行きたかったですが、センスが真逆の母と“絵でどうやって飯を食うんだ?”という父の大反対にあったので、自立自力をモットーに実行していたわけです。

私は平和平等主義で、親に反抗なんてしたことないけどな。と思っていましたが、今思うと、十分に尖ってますね(笑)

そんな時代に、友人が誘ってくれて、何とかチケット代と交通費を捻出して、伝説の小劇場渋谷ジャンジャンでの美輪さんのライブを観た時の思い出です。

小劇場なので、ステージが本当に近くて、開幕までの期待感と高揚感は滅多に経験できないレベルでした。

そして、美輪さんが登場すると、割れんばかりの拍手が収まるまでに、相当な時間が掛かったと思います。存在感と迫力がすごかった。

あまりの存在感と美しさに、ライトに照らされた埃さえスターダストのように輝いてみえました。

最初の言葉は“こんばんは。安室奈美恵でございます”でした(笑)

ユーモアたっぷりの美輪さんが、歌いだした瞬間に空気が変わりました。

私はシャンソンにはまったく無知です。というか、神様は一縷の音楽的センスも私には与えなかったので、その場にいたのが申し訳ないくらいです。

そんな私にも、ものすごく響いてきました。
美輪さんの世界観や訴えかけるものが、この世の全てになるようでした。

美輪さんはよく著書やテレビで原爆の体験を語っていましたが、

“ピカっと光った瞬間にすべての音が無くなって、一瞬したら、この世の全ての音を集めたようだった”とおっしゃっていました。

その瞬間には爆風とあらゆるものが凶器になる恐怖しかないと想像します。

美輪さんの舞台は、美輪さんが知る最大のエネルギー量で、
慈愛しかない世界でした。だから、すごかった。

本当に、すごかったです。

ライブが終わってからは放心状態だった気がします(笑)

劇場の外で、お見送りできると聞いて残っていたファンがいました。

みんな、お行儀のよいファンです。

美輪さんに一目会ってお礼を言うために、ゴミ拾いなんかしながら、

良い子に待っているわけです。

すると、美輪さんが衣装のまま出てきたんです!もうびっくりです。

美輪さんは微笑みながら一言 “お茶する?”

もうみんな、歓喜に狂ってしまいました(笑)

10数人くらいだったか、楽屋でお茶をいただきながら、

サインをいただいたり、写真を撮ったり、握手していただいたり。

私は、万が一サインなんかいただけたらと、

持参していた美輪さんの著書“微笑みの首飾り”にサインをお願いしました。

“お名前は?あら随分読み込んでるじゃないの。ありがとう”

といって、サインをくださって、握手を両手でしてくださいました。

もう真っ白になりながらも、ものすごく大きなルビーとサファイア?の指輪に触ってしまわないように、両手でお返しすると、

本当に大きな両手で体温が伝わる握手をしてくださいました。

こんな大きな存在感は、私は他に感じたことがありません。

生きている観音様のようでしたが、ユーモアがあって、面白くて、茶目っ気のある不思議な素敵な方でした。


思い出に感謝しつつ心を込めて。美輪明宏さんの言葉を残します。

“こんな世の中を

生き抜く武器は

愛の言葉しかありません 

この世のすべての問題を

解く鍵は愛です 

愛があれば

戦争なんか起こりません”


美輪明宏

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