通知の量に心が折れそうなのに、なぜか抜けられない不思議

通知の量に心が折れそうなのに、なぜか抜けられない不思議

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とあるグループラインがあるのね。
気づいたら入れられていた。はじめはね、なんなら光栄だとも思ってたんだけども、
気づいたら通知が鳴っていた。
気づいたら「返事しなきゃ」の呪いにかかっていた。

通知の量は、ものすごーく多い。
スマホが震えるたびに、
「え、私そんなに必要とされてる?」って一瞬だけ勘違いするけど、
だいたい内容は

『了解です!』
『私もその日むずかしいです』
『一旦保留でお願いします』  

という、連絡網の三種の神器。

集まろうって話になると、
全員の予定が揃うまでの道のりが長い。
長すぎて、もはや“高級寿司店の予約争奪戦”。
みんな予定が美しいのよ。

「その日は子どもの発表会が…」
「私は午後から美容室で…」
「私はその日、お花のワークショップで心を浄化する予定が…」

予定が全員、浄化されすぎてて揃わない。
もういっそ、予定を揃えるワークショップを開催したほうが早いよ。

そんな中で私は誰も傷つけない、誰も置いてけぼりにしない
一番の模範解答を探っている。

そんな中で、ひとり、
スッ…と抜けた人がいた。

あまりにも静かで、
あまりにも自然で、
まるで高級ホテルの自動ドアみたいにスーッと消えた。

「用事があれば電話ください。」
その一言だけ残して去っていった背中は、
もはやアート作品。
ミニマリストの生き様を見た気がしたよ。

まわりは意外と大人で、
顔を合わせれば普通に挨拶する。
誰も「なんで抜けたん?」なんて聞かない。

その空気がまた絶妙で、
“あ、抜けてもいいんだ…”と
私の心にそっと風が吹く。

でも私は抜けきれない。
勝手に入れられたのに、
勝手に抜ける勇気がないの。
ありがとうのスタンスで居残りしている。
なんだこの人間関係の矛盾は。

居心地はよくない。
でも、完全に不要でもない。
社会的なつながりという名の、
薄いけど切れない糸みたいなものがあって。
有益な情報がゼロではないのも、
また抜けづらさを強化してくるんだよね。

私は今、
“抜ける勇気”と“残る優しさ”のあいだで、
ずっと足踏みしている。

グループラインって、
ただの連絡ツールじゃなくて、
人間の「つながりたい」と「離れたい」が
同じ部屋で同居してる場所なんだと思う。

どっちも正しい。
どっちも人間らしい。

もし私もいつか抜ける日が来たら、
そのときはきっと、
誰も気にしないし、
誰も責めないし、
私はただ、ちょっと軽くなるかな。

それまでは、
この“上質なのにちょっと笑える場所”と
ゆるく付き合っていこうと思います。
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