すべてを失いかけた底で、私が初めて視たもの

すべてを失いかけた底で、私が初めて視たもの

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見えてはいけないものが見えた子供


私には、物心ついた頃から、見えてはいけないものが見えていました。

人が口で言っていることと、心の奥で流れている本当の気持ちが、別々に視えるのです。
楽しそうに笑っている人の内側に、冷たい水のような諦めが流れているのが視える。
優しい言葉をかけてくれる人の奥に、刺すような棘が隠れているのが視える。
幼い私には、それが特別なことだという自覚すらありませんでした。
みんなにも同じものが視えているのだと、長いあいだ思い込んでいました。

違うと気づいたのは、視えたことを口に出すたびに、まわりの顔が強張っていったからです。
言ってはいけないことを、私は言っているらしい。
そう察してからは、視えたものを胸の奥にしまい込むようになりました。
視える子供は、視えることそのものよりも、視えたものを抱えて黙っていることのほうに、ずっと消耗していくのだと、今なら分かります。


視える力で、人を追い詰めてしまった頃


若い頃の私は、その力を、未熟にしか使えませんでした。

視えてしまうものは、たいてい正しい。
だから、それをそのまま相手に突きつければ、その人を救えると、本気で信じていました。
あなたは本当はこう思っている。あの人はあなたをこう見ている。
事実なのだから、伝えてあげるのが誠実だと思っていたのです。

けれど、現実は逆でした。

視えた事実を突きつけられた人は、救われるどころか、追い詰められていきました。
言わなければよかった言葉で、近くにいた人を傷つけ、離れさせてしまったことが、何度もありました。
救いたかったはずなのに、私がしていたのは、その人の逃げ場をひとつずつ塞いでいくことだった。
視える力は、使い方を間違えれば、人を助けるどころか、人の心を追い込む刃になる。
私はそれを、取り返しのつかない形で、何度も思い知りました。


いちばん視えなかったのは、自分のこと


そして、いちばん視えていなかったのは、自分のことでした。

おかしな話です。
人の心の流れなら、あれほど鮮明に視えるのに、自分の流れだけは、まるで霧の中にあるように視えない。
何を信じて、どこへ足を置けばいいのか、本当に分からなくなっていました。

助けを求めようにも、視えるという力のことを、誰かに打ち明けられるはずもありませんでした。
打ち明ければ気味悪がられる。打ち明けなければ、何に苦しんでいるのかさえ伝わらない。
だから私は、ひとりで黙って、抱えているしかありませんでした。


すべてが崩れていった、あの底で


ある時期、私の足元は、音もなく崩れていきました。

それまで積み上げてきたはずの仕事が、思うように回らなくなる。
信じていた人との関係が、理由も分からないままほどけていく。
ひとつ崩れると、次が崩れ、その次が崩れ、止め方がまるで分からない。
夜が明けるのが、ただ怖かった。
朝が来るたびに、また何かがひとつ崩れる気がして、起き上がれない日が続きました。

これ以上は、もう抱えきれない。
そう感じたとき、私はようやく、自分の内側に向き合うことを、自分に許しました。
今まで他人ばかり視てきた目を、初めて、まっすぐ自分に向けたのです。
すがれるものなら、何にでもすがりたかった。
残っていた力も、時間も、できることのすべてを、自分という一点を視通すことに賭けました。


高次元から、自分の命譜を視た


その底で、私は初めて、高次元から自分の命譜を視通す視座を得ました。

命譜とは、あなたが発してきた波動の軌跡が、刻まれていく記録のことです。
生年月日で決まってしまう、固定された宿命表ではありません。
何を選び、どう生きてきたかで、刻一刻と書き換わっていく、可変の記録です。
それまでの私は、人の心の表面しか視ていませんでした。
けれど高次元から視るというのは、その人が発してきた波動の軌跡そのものを、過去から未来まで一筋に視るということでした。

そこで、ようやく分かったのです。
私を止めていたものの正体は、命譜に刻まれた、軌道のずれでした。
私はずっと、本来乗るべき進路とは違う向きに、力だけを入れ続けていた。
崩れていったのは、私が弱かったからでも、努力が足りなかったからでもありません。
ただ、向きがずれたまま、必死に漕いでいただけだった。

それに気づいた瞬間のことを、私は今でも忘れません。
もう二度と動かないと思い込んでいた現実が、ほんの少しずつ、音を立てるように動き始めたのです。
何かを力ずくで変えたわけではありません。
ずれていた向きが、本来の軌道のほうへ、静かに戻っていっただけでした。


力は生まれつき、視座はあの底で研いだ


視えるという力は、生まれつきのものです。
けれど、高次元から命譜を読み、軌道のずれを視抜く視座は、生まれつきではありませんでした。
すべてを失いかけた、あの底で、自分自身を視通すしかなかった日々が、私に研がせてくれたものです。
人を追い詰めてしまった日々も、足元が崩れていった日々も、ひとつ残らず、この視座にたどり着くために必要な軌道だったのだと、今は思えます。

自分でも、もう無理だ、二度と動かないと諦めかけていた現実が、確かに動いた。
あの一度の経験が、私のすべての始まりでした。
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