離婚をきっかけに、私は大手生命保険会社へ就職した。
それまでは、ピアノや音楽を教える活動をしていた。
けれど、娘を妊娠したことでその活動から離れ、夫のDVによってシングルマザーとなった私は、生きていくために働かなければならなかった。
声をかけてもらっていた大手生命保険会社へ入社し、営業職として働き始めた。
その後、指導者層の道へ進み、新人育成やオフィス運営に携わるようになった。
16年間で対話してきた人数は、30,000人を超える。
たくさんの従業員と出会った。
仕事の悩み、家族の悩み、自分の身体やメンタルの不調を訴える人もいた。
しかし特にメンタルの悩みをもつ人たちに向けられる厳しい言葉や、陰で交わされる心ない会話を目にすることがしばしばあった。
確かに、それを縦にするような人もいたのは事実ではあったが、本当に苦しむ人もいることを知っているため、私はそうはなりたくないと思っていた。
実は私は、20歳の頃からアダルトチルドレンと診断され、睡眠障害を抱えていた。
一度、相談に行ったことがある。
そこで言われた言葉を今でも覚えている。
「あなたは私には想像のつかない壮絶な経験をされたんですね。」
その言葉は、私にはどこか他人事のように聞こえた。
私のこと理解してくれているのかな…?
「やっぱりわからないんだ。」
「こんな経験をした人の気持ちは、普通の人にはわからないんだ。」
そう思った。
そして、よくわからない療法を勧められた。
私はただ、話を聞いてほしかっただけだった。
それ以来、そういうものとは距離を置くようになっていた。
そんな私が、大きな異動を経験した。
ストレスが積み重なり、組織への違和感が大きくなっていった。
私は昔から、自由な性格だった。
箱の中に閉じ込められるのが苦手だった。
思春期には、その反発が大きく爆発したこともある。
爆発しすぎて、反社会的な方向へ向かってしまった時期もあった。
だからこそ私は、
「自分は社会でまともに生きられない人間なんだ。」そう思っていた。
だから組織で認められることは、嬉しかった。
「こんな私でも、社会で活躍できるんだ。」
そう思わせてくれた会社に、感謝していた時期もあった。
けれど、現実はどんどん私の思いとは真逆の方向へかけはなれていった。
そして気づけば、自分の心を置き去りにしていた。
娘の大学進学が決まり、お金の目処もついた時、私は自らメンタルクリニックを受診した。
診断名は、適応障害と睡眠障害。
私は気付いていた。
人の話を聞き続けてきたのに、自分の話をしてこなかったことを。
答えが欲しかったわけじゃない。
分析も、解決もいらなかった。
解決は自分にしかできないこともわかっていた。
ただ、自分の話を聞いてほしかった。
その思いから、NPO法人認定傾聴カウンセラーの資格を取得し、退職を決意した。
市役所へボランティア登録をし、お話相手として活動を始めていた。
朝から楽しみに待っていてくれる方。
「1時間では足りない」と言ってくださる方。
家族の話。
人生の話。
誰にも言えなかった思い。
時折、私の言葉に涙を流される方もいた。
その時、私は確信した。
人は、話すことで自分を整理している。
そして、本当に必要なのは答えではなく、安心して話せる場所なのだと。
一方で私は、音楽も続けていた。
昭和音楽芸術学院ピアノ科を卒業後、現在も"イタリア語地元オペラの会"の稽古ピアニストとして活動している。
言葉で表現できない感情を音へ変換していく
ある時、施設のケアマネジャーさんにその話をすると、
「ぜひ施設でも弾いてください。」
そう声をかけていただいた。
そこから他の施設でも依頼をいただくようになり、ボイストレーナーと共に唱歌などの演奏会を行うようになった。
参加型にした演奏会では、利用者さんが一緒に歌い、笑い、涙を流された。
音楽は、言葉では届かない場所へ届く。
私はその瞬間を何度も見てきた。
この経験したことから私は
「施設に入居していない人にも届けたい。」
そう思うようになった。
そこから生まれたのが、「訪問型傾聴音楽セッション」という構想。
ピアノがなければ私のもつキーボードで思い出の曲に触れ、回想、そして能動的方法で脳や身体の活性化に貢献したいと考えている。
私の両親は、要支援だ。
ずっと1日中座って、テレビを見るか、1点を見つめてボーッとしていたりしている。
色々なところへ連れ出したり、身の回りの雑務をしているが、娘の私では脳の刺激は与えられない。
第三者と話してほしい。
私が話すときと違って、第三者と話すときは急にシャキッとして、目が生き生きとするのだ。
そんなヒントもあった。
中小企業診断士さんは「面白い」と言ってくれた。ケアマネージャーさんからは、
「訪問なら、包括支援センターが間に入る方が安心ですね。」
と現実的なアドバイスもいただいた。
そして施設の方々は、
「一緒に考えましょう。」
と言ってくださった。
AIが悩みを聞く時代になっても、人の温度を伝えられるのは人間にしかできない。
私は絶対音感を持つ音楽家として、声の震えや呼吸の変化にも気付くことを得意としている。
16年間の仕事の中でもそれは役立ち、人の心の微妙な変化に気付くことができるからこそ、本音を打ち明けやすかったのだと思う。
NPO法人認定傾聴カウンセラー。
音楽療法カウンセラー。
メンタル心理ミュージックアドバイザー。
2級ファイナンシャルプランナー技能士。
けれど私にとって一番大切なのは資格ではない。
音楽家の耳で、営業で指導者で、人の心の声を聞き続けてきた人生の集大成を発揮し、言葉にならない心の声を聴くこと。
それが私の仕事だと思っている。
言葉にならなくてもいい。
うまく話せなくてもいい。
声に出すことで、絡まった思考の糸は少しずつほどけていく。
シングルマザーになって拾った人生。
遠回りだと思っていた経験も、苦しかった時間も、全部ここにつながっていた。
死ぬ前までに、やり遂げたいことがある。
社会の隙間にいる人たちへ。
言葉にならない思いを抱えた人たちへ。
傾聴と音楽を通して、その人自身の声を取り戻すお手伝いをしていきたい。
そこに年齢や性別は関係ありません。
私はこれからも、音楽家の耳で、言葉にならない心を聴いていく。