私の大学時代の話であるから40年前の事件である。
愛知県出身の私は当時東京の大学に通っていた。
その時に住んでいたアパートの近くで、ガッツ石松を凶悪にしたような感じの男とぶつかった。
ちょっとぶつかっただけなのに、男は肩を大げさに押さえて悶絶し始めて、
「大怪我をした!この落とし前をどうつける気だ!」
と怒鳴った。
のちにわかるのだが、コツはヤクザとチンピラの中間みたいな男で、警察によるとヤクザよりもこういうタイプの男の方がはるかに厄介だとのことであった。(今後はヤクザと呼びます)
ヤクザはまず、落とし前にいくら払うか尋ねてきた。
その目的は、私が先に金額を言うことによって、自分が想定していた金額よりも多ければ大儲け、少なければ脅せばよいということなのだ。
ヤクザは賢い。
しかし、貧乏学生の私は財布を覗いてみたら・・・
2万円ぐらいしかない。
先日銀行に行って仕送りを引き出していたから、それだけしかないので、
「1万5000円でどうですか?」
と、恐る恐る尋ねたら、
「バカ野郎、人に大怪我させといてそんなわけにはいかんだろう?50万円だ!それなら許す。俺に対する傷病手当だ!俺は毎日パチンコで2万円は稼いでいるが、肩をけがしてパチンコが打てなくなった。30日分で60万円のところ、10万円まけてやる!ありがたいと思え。俺の優しさは分かるよな?来月以降も肩が痛んだら毎月50万だ。分かったな?」
と言った。
まぁ、優しいお方よ・・・(笑)
まさに大事件である。
ところが、私の場合は、ここから話が妙な方向に転がり始めた。
警察に行き、取り調べを受け、ヤクザに脅され、友人のアパートに逃げ込み、大学にも騒動が広がった。
それによって、私は文化人類学の単位を取得することになる。
ヤクザに50万円を要求された話が、どうして大学の単位取得成功談になるのか(笑)
しかし、これは作り話ではない。私の大学時代に実際に起きた出来事である。
1.ヤクザに学生証を奪われる
ヤクザに喫茶店に連れていかれた。
コーヒー代は私が2人分払った。
そこで私は、ヤクザに学生証を取られた。
学生証には大学名が書かれている。
つまり、ヤクザに私がどこの大学に通っているかを知られてしまったのである。
まだヤクザと確定していなかったけれど、間違いなくヤクザだと思った。
50万円という金額もさることながら、要求している相手が普通の人間ではないということが問題だった。
私は、「はい、お金は親に頼んですぐに払います」
と言って喫茶店から逃げた。
ここでうまく逃げ出したことが、その後の長い騒動の始まりだったのである。
とにかく、私は110番に電話したら。板橋警察署に行けと言われた。近所の交番ではダメだとのことである。
しかし私は迷っていた。
警察に訴えたことがヤクザにばれたら、何をされるかわからない。
ものすごい葛藤の末、私は警察に行くことにした。
それで板橋警察署に行ったことによって、私と警察との妙に縁の深い時間が始まった。
2.警察に行けば、すぐに解決すると思っていた
警察に行ったからといって、その日のうちにすべてが片付くわけではなかった。
担当してくれたのは、臼田刑事という人だった。
私は警察署の取調室で、事情を聞かれることになった。
取調室というのは容疑者専用だと思っていたが、被害者に対しても使われることを知った。
もちろん私は、取り調べというものを経験したことがなかった。
取調室で、私はヤクザに50万円を要求された経緯を説明した。
しかも、警察との付き合いは一度で終わらなかった。
わずか1か月足らずで、5~6回呼び出された。
そして、後日、検察庁にも呼ばれることになる。
大学生として普通に生活していたはずなのに、いつの間にか、警察や検察と関わることが当たり前のような時間に入り込んでいた。
しかし、私には、警察や検察を理解しようという余裕などなかった。
とにかく、ヤクザが怖かった。
そして、できれば早く、この騒動から解放されたかった。
3.取り調べとカツ丼
警察署で事情を聞かれていたとき、刑事からカツ丼を勧められた。
取り調べとカツ丼。
テレビドラマでおなじみの組み合わせである。
私は、カツ丼を出してもらえるのだと思った。
ところが、現実は違った。
刑事は、「俺には金がないから、自分の食事代は自分で払え」と言った。
つまり、私は自分のカツ丼代を払うことになったのである。
刑事も自分のカツ丼代を払っていた。
カツ丼代は公費で落ちるものではなかったのだ。
刑事も、被害者も、容疑者も自腹なのである(笑)
しかし、刑事に勧められたカツ丼だから、ひょっとしたら御馳走になれるかと考えていたが甘かった(笑)
私は警察に何度も足を運んだが、高いカツ丼は食いたくないから、その後刑事に勧められても断っていた。
こうして、私のカツ丼に対する幻想は、あっさりと終わった。
それにしても、本当に困ったのは、ヤクザがまだ自由に動ける状態だったことだ。
4.警察がすぐに逮捕してくれるとは限らない
私は、警察がヤクザをすぐに逮捕してくれるものだと思っていた。
そして、警察もすぐに逮捕するつもりだった。
ところが、大きな事件が発生し、こちらが後回しにされてしまったのである。
そのため、ヤクザの逮捕までには、かなり時間がかかった。
私にとっては、早く逮捕してほしかった。
なにしろ、相手は私の大学名を知っている。こちらの身元も知られている。
50万円を要求された相手が、まだ自由にしている。
それだけで、落ち着いて生活できるはずがなかった。
警察に相談したからといって、明日から安心して暮らせるというわけではない。
私は、ヤクザの逮捕を待ちながら、逃げるような生活を送ることになった。
5.ヤクザに電話をかけなければならない
今でも、嫌な記憶として残っていることがある。
警察がヤクザを逮捕するためには、相手が自宅にいるかどうかを確認する必要があった。
いきなり乗り込んで逮捕するためである。
そのため、私はヤクザに電話をかけることになった。
自分を怖がらせている相手に、自分から電話をかける。
これが、どれほど嫌なことだったか。
電話の向こうから、ヤクザの声が聞こえる。
私は怖くて、電話を切ることができなかった。
警察としては、ヤクザが家にいるかどうか分かれば、それでよかったのだ。
ところが、私は怖さのあまり、いつまでも電話を続けてしまった。
その結果、電話を切った後に臼田刑事から叱られた。
「ヤクザがいると分かればそれでいいのに、いつまでも電話しやがって」
刑事の立場からすれば、もっともな話だったのかもしれない。
しかし、私の立場からすれば、電話の向こうにいるのは、50万円を要求してきたヤクザである。
早く電話を切りたい。
でも怖い。
電話を切った後に何が起きるのかも怖い。
そういう気持ちだった。
警察が動いてくれているのはありがたい。
それでも、ヤクザの声を聞かなければならないのは、私自身だった。
この騒動は、警察に相談しただけで終わるようなものではなかった。
6.ヤクザが逮捕された
ようやく、ヤクザが逮捕された。
恐喝未遂罪とのことであった。
罪名は何でもいいからほっとした。
すると、私は、逮捕された人物がヤクザ本人かを確認するため、警察に呼び出された。
そこで案内されたのが、おなじみの取り調べ室の隣にある暗室だった。
部屋と部屋の間には、こちらからは向こうが見えるが、向こうからはこちらが見えない、いわゆるマジックミラーがあった。
マジックミラーは洗面台の上に設置されており、もう一人の刑事がヤクザに手を洗うように言ったために、私とヤクザはマジックミラー越しに向き合う形になった。
鏡があれば、だいたい自分の顔を見ますよね。
その反対側に、私はいるので、真正面から至近距離でヤクザと向き合う形になった。
あれは嫌なものよ。
私はひるんであとずさりしたら、刑事は、
「皆さんひるみますわね(笑)」
と言って、のんきに笑っていた。
私は、それまで、そんな仕組みが存在することを知らなかった。
数週間の間に、
ヤクザに50万円を要求される。
警察に事情を聞かれる。
ヤクザに電話をかける。
そして、逮捕された相手を確認するため、マジックミラーのある部屋に入る。
大学生の生活としては、ずいぶんと珍しい経験が続いた。
もちろん、珍しい経験をしたかったわけではない。
できることなら、そんな経験は一つもせずに大学生活を送りたかった。
しかし、現実には、そうはいかなかった。
7.警察の取り調べが長引き、大学に遅刻するかも!
警察で事情を聞かれる時間が長引いたことがあった。
大学生の私には、授業がある。
警察の都合と大学の時間割は、当然ながら別々に動いている。
その日は、教員免許取得のための説明の授業で、これに遅刻したら教員免許は取得できない。
どうしても取得したければ、留年しなければならない。
つまり、大学に5年通うわけだから、100万円ぐらい余分にかかる。
私は懇願したが、刑事は取調べを終わらせてくれない。
なんとか、12:00までに終わらせてもらえないと、私は教員免許が取れなくなる。
とっくに12:00は過ぎていた。
もう12:30近い。
私は絶望した・・・。
すると、臼田刑事が、パトカーで大学まで送ってくれると言い出した。
いや、それでも30分ぐらい遅刻するから無意味だと思っていたら、
刑事は、サイレンを鳴らして走りだした。
刑事はそうやって走れば、授業に間に合いうと計算していたのである。
それならそうと言ってくれたらいいのに、意地悪な刑事はそれを言わずに取調べを続けて、ギリギリになってパトカーに乗せてくれたのだ。
それで、30分もかからず大学に到着した。
私は授業に間に合った。
しかし、なかなか、サイレンを鳴らしたパトカーで大学へ送ってもらう経験はしないですよね(笑)。
振り返ると、何とも奇妙な光景だったと思う。
8.今度は検察庁へ
警察での事情聴取だけでは終わらなかった。
今度は、検察庁に呼ばれた。
検察官は落ち着いた様子で、私に質問をしていった。
その前の席では、男性の職員が、私の話した言葉をものすごい速さで書き取っていた。
手書きである。
私は、その速さに驚いた。
人が話す言葉を、あれほどの速さで記録できるものなのか。
しかも達筆(笑)
事件の当事者として呼ばれているのだから、本来なら、そんなことに感心している場合ではなかったのかもしれないが、
あまりのすごさに目を見張って、彼の手元ばかり見ていた記憶がある。
検察官の顔は全く覚えていないが、男性職員の手元はくっきりと覚えている。
検察庁で話を聞かれたのはこの時だけだったが、
警察に行ったり、検察に行ったり、大学生の私にとっては、ただただ、驚くことの連続であった。
しかもこれはわずか3週間あまりの出来事である。
そして、私の頭の中から、この期間にヤクザへの恐怖が消えたことはなかった。
相手が逮捕されたからといって、初犯のヤクザはすぐに釈放されると聞かされていた。
それまでに引っ越しを済ませなければならない。
あわてて、引っ越し先の、実に不便なボロアパートに引っ越した。
9.ヤクザは大学に電話をかけてきたことがあった
ヤクザは、私の大学にも電話をかけてきた。
大学によると、ヤクザは、
「原岳夫という学生が、自分に大けがをさせて逃げた!連絡が取れない!原の実家の電話番号を教えろ!親に治療代を払わせたい!」
と言ったそうだ。
大学は、ヤクザの言葉を信じて、私の代わりにヤクザに詫びて、私の実家の住所と電話番号を教えたそうである。
その結果、ヤクザは私の父親に電話がかけられるようになった。
今度は親にまで話が及んだのである。
これはどこまで広がるのだろう?
そんな不安があった。
10.父親に「お前の息子を殺す」と脅迫する
もちろんこれはヤクザの逮捕前の話であるが、
父親は、ヤクザから電話がかかってくるかもしれないので、電話のそばにテープレコーダーを置くようにした。
脅迫めいた電話があれば、録音できるようにするためだった。
そして、実際に電話がかかってきた。
ヤクザは、父親に向かって20分ぐらいさんざん脅して、
ついに、
「お前の息子を殺す‼️」
と怒鳴った。
録音を聞いたが、父親は、それまでは落ち着いて対応していた。
ところが、この言葉を聞いたとき、こう言った。
「それはダメだわねぇ」
息子を殺すと言われて、父親が返した言葉である。
もちろん、父親が脅迫を軽く考えていたということではない。
それまで落ち着いて対応していた父親が、その言葉に対してだけは、狼狽しながらそう返したのである。
録音されたテープは、証拠として提出されることになった。
しかし、提出する前に、私はテープを複製していた。
そして、友人たちに聞かせた。
友人たちは、強い関心を示して聞いていた。
考えてみれば、友人たちにとっても、ヤクザから「お前の息子を殺す!」と脅迫される電話を聞く機会など、そうそうあるものではない(はずだ)。
私にとっては現実の恐怖だったのだが、友人たちにとってはすごく楽しそうだった。
うわさを聞いた友人からテープを聞かせてほしいと頼まれるたびに、私もそれを聞くことになったので、ヤクザの逮捕後も結構きつかったことを覚えている。
しかし、よくまぁ、複製して友人に聞かせようと考えたものよ(笑)
11.昭和荘に逃げ込む
引っ越すまでの間の半月余り、私は川崎市に住む、小中学校時代の同級生のアパートに避難することになった。
その友人が住んでいたアパートの名前は、昭和荘という名前で、見たこともないボロアパートだった。
それにしても壁が薄い。隣人が何をしてるかもわかるほど薄い。
そんな時に友人が、部屋を改造してくれと言い出した。
(賃貸のボロアパートを改造するだと?)
とびっくりしたが、身を寄せてもらってる以上言う事をきくことにした。
私は、最初は慎重に改造を始めた。
まず、押し入れの仕切りを外すことにした。
しかし、釘で固定されているからなかなか外せない。
それでも、あとで元に戻せるように、最初は注意深く作業していた。
ところが、途中から、どうでもよくなってきた(笑)
そして、破壊し始めた。
ヤクザから逃げている最中に、友人のアパートを破壊していたのである(笑)
振り返ると、何をしていたのだろうと思う。
12.「知らない若い男が部屋を壊している」
昭和荘には、私の行動を見ていた住民がいた。
その人物は、周囲から「いざりさん」と呼ばれていた男だった。
彼は、私が部屋を破壊している様子を見て、大家に電話をかけた。
「見知らぬ若い男が部屋を破壊している!」
そんな内容だったらしい。
アパートを破壊している最中に、大家が来たのである。
そりゃまぁ、大家としては、部屋を破壊されているという連絡を受けたのだから、当然確認に来ますわね。
それで、大家が来たタイミングで、友人も戻ってきた。
大家は友人に、部屋の中を見せるように求めた。
この状況で、友人は、
「いや、そんなことあるわけないですよ(笑)」
と言って、押し切った。
もちろん、そんなことがあるのは友人も知っているわけだが、部屋の中から聞いていて、よく追い帰したものだと感心したわ(笑)
大家は、部屋の中を確認することなく、帰っていった。
ヤクザから逃げている最中に、友人のアパートを破壊し、住民に通報され、大家がやってきた。
それでも、友人の一言で何とか切り抜けた。
もちろん、これはヤクザとは別の恐怖であるが、恐かったわね。
避難中に私は、散々やらかしていたのである。
13.76歳のおじいさんとの騒音問題
昭和荘の隣室に、たしか松田さんという76歳のおじいさんが住んでいた。
このおじいさんは、私たちに対して、毎日のように嫌みを言ってきた。
「いつも静かにしてくれてありがとう」
もちろん、そんな意味ではない。
先ほど書いたように、昭和荘の壁は薄過ぎる。だからこっちの部屋で友人の友人まで来て、毎日明け方まで大騒ぎしていたから、おじいさんは絶対に寝られなかったはずだ。
私たちは、おじいさんのその言葉を聞いて、ますます騒がしくした。
まぁ、嫌みや苦情を言われれば、普通は静かにするものだろう。
ところが、私たちは、そんなことはしなかった。
嫌みを言われれば、さらに騒がしくする。
何とも子どもじみた対応だったと思う。
しかし、そういうこともしていた。
ヤクザから逃げている最中に、友人の部屋を破壊し、大家を切り抜け、今度は76歳のおじいさんと騒音をめぐって嫌なやり取りをする。
あの半月間の生活は、いったい何だったのだろう・・・。
14.友人の友人に脅迫される
さらに、友人の友人からとんでもないことをされた。
たしか磯村という男で、友人の大学の友人だった。
こいつは別のアパートに住んでいて、よく遊びに来るから顔なじみになった。
ある日こいつが、ヤクザのふりをして電話をかけてきた。
そして、私にこう言った。
「俺が誰かわかっているよな?もう許さん!今から多摩川に沈める!もう手下がそこに向かっている!」
いやぁ、あの時はマジで死ぬと思ったわ・・・
私は、本物のヤクザから電話がかかってきたと信じている。ついに居場所が突き止められたと思った。
そんな状況で磯村は、
「おい、引っかかってんじゃねぇよ。磯村だよーーーん(笑)」
というから、マジで殺してやろうかと思って、磯村のアパートに金属バットを持って向かおうとしたが、
昭和荘の友人が、
「これは俺が磯村に頼んだ計画だから、殺すなら俺を殺せ!」
と言う。
それを聞いて怒りの矛先が変わって、本当に殺してやろうかと思ったけど、さすがに殺人はできないから、昭和荘前の電柱をバットがボロボロになるまで殴って気を静めた。
その時の様子を友人は、
「人間は殺意を持つとあそこまで豹変するとは思わなかった」
と、言っていたわ。
皆さんも、ヤクザに追われている人に対して、絶対にこんなことしてはいけませんよ。
下手するとマジで殺されますからね(笑)
ここまでの事件を振り返ると、
本物のヤクザに脅され、警察に相談し、カツ丼を食べて、検察に行き、父親まで脅迫され、友人のアパートに逃げ込み、アパートを破壊し、おじいさんとモメて、友人の友人から脅されたのか・・・。
これって、半月あまりの出来事よ。濃すぎる(笑)
15.ヤクザ事件は、大学に伝わることになった
このような一連の出来事は大学にも伝わることになった。
きっかけは、一般教養の「文化人類学」の授業だった。
私は、文化人類学について、特別な知識はないし関心はなかったが、名物教授と聞いて仮履修することにした。
ヤクザ事件は4月に発生して、仮履修中に逮捕してもらえたから、ちょうどこの時期のことである。
16.文化人類学の教授が、とんでもない条件を出した
文化人類学の仮履修のとき、教授はこう宣言した。
「面白くて予想外の内容のレポートを提出すれば、一度も授業に出席しなくても単位をやる。ただし、つまらないレポートなら試験に合格していても単位はやらない。レポートを提出するのもしないのも、お前らの自由だ。レポートの内容は分化人類学でなくてもよい」
(なに?俺には、めちゃくちゃ強いネタがあるぞ!)
もちろん、一連のヤクザ事件のことである。
これをレポートに書けば、関心のない文化人類学の授業に出なくても、単位がもらえるかもしれない。
ということで、私はレポートに博打を打つことにした(笑)
いまくいったら、一度も授業を受けずに単位が取れることに賭けたのだ。
まぁ、ヤクザに追われながら、よくこんなことを考えたものよ・・・
ということで、私は正式に文化人類学を履修することにした。
あれほどまでのネタがあるから大丈夫だと思っていた(笑)
17.ヤクザ事件をレポートにする
もちろん私のレポートは、ヤクザ事件での一点突破作戦である。
文化人類学のレポートなど書く気はないし、そもそも授業に出ないのだから、教科書も買わなかった。
事件の渦中にいた私こそが、レポートのネタだから、参考資料も必要ない。
シャープペンシルさえあれば、何も見なくてもレポートが書ける。
ヤクザから逃げている初めのころに、これが文化人類学の単位を取るために役立つかもしれないとは考えてもいない。
ただ、現実に起きた出来事をレポートに書いただけである。
そして、そのレポートが、予想外の展開を生むことになった。
18.教授がレポートを教室で読み上げた
教授は、私のレポートを読んだ。
そして、教室で読み上げた。
30分ぐらいの長さだった。
ちなみに、リスクを恐れて、私以外にレポートを出した学生はいなかったそうだ。
しかも私のレポートの中身はあれですから(笑)
教授は私を呼んで、〇月〇日の授業で、読み上げるから聞きに来いと言った。
そこで、私は初めて、文化人類学の教室に行って、30分間だけそこに滞在したのである。
私が文化人類学の授業に出たのはそれだけ。
それで、教授がヤクザ事件や、その周辺で起きた出来事を、授業で紹介したわけですから、私の身に起きた一連の騒動が、大学に伝わることになったのである。
授業に出ていた誰かが、大学に伝えたのであろう。
自分が書いたレポートを教授が読んでくれることで、自爆しかけたのであった(笑)
19.学生課に呼び出される
私のレポートが大学に伝わったことによって、私は学生課に呼び出されることになった。
呼び出しを受けたときは、実にひやひやした。
思い当たる節は、ヤクザ事件以外にない。
ひょっとしたら退学?
そりゃ、昭和荘をさんざん破壊したことやら、おじいさんを困らせたことや、取調べやら、逮捕の様子まで克明に描いて、さらにこのブログには書いてない悪事までレポートには全て書いていて、
それを教授が学生の前で読み上げたのだから・・・
たぶんヤバい!
そんなことを考えながら、学生課に向かったのである。
ところが、学生課の職員は、私の話に実に同情的だった。
私は、退学になることはなく、無事にその場を切り抜けたのだった。
20.結局、文化人類学の単位を取得した
ようやくここでおしまいです。
先ほども書いたように、私が文化人類学の授業に出席した時間は、30分である。
それでも、私は単位を取得した。
まぁ、レポートに賭けた博打ですからね。
ヤクザに脅迫されたことによって、文化人類学の単位が転がり込んだ事件である(笑)
最初は、ただこの騒動から逃れたいと思っていた。
ところが、数々の出来事を経験した後、それらがレポートの材料になった。
そして、そのレポートが評価され、文化人類学の単位を取得することになった。
考えてみれば、ずいぶん奇妙な話だ。
しかし、単位は取ったけど、授業には出ていないし、教科書も買っていないから、私は、文化人類学の「ぶ」の字も知らない(笑)
おしまい。