怖い話は観るより聞きたい。だって、見えないほうが怖いから。

怖い話は観るより聞きたい。だって、見えないほうが怖いから。

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突然ですが、皆さんは怖い話を「観る派」ですか? それとも「聞く派」ですか?

私は、圧倒的に聞く派です。

ホラー映画も心霊映像ももちろん好きです。
でも、個人的には映像で見せられる恐怖よりも、誰かの口から語られる恐怖のほうが、ずっと後を引く気がするんです。

なぜなら、怖い話には映像がありません。

……正確に言えば、映像がないからこそ、自分の頭の中で勝手に映像が作られてしまうのです。

想像してしまったら、もう終わり。

例えば、こんな話。

「夜中の3時ごろ、誰もいないはずの廊下から、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた」

これだけなら、よくある怪談かもしれません。

でも、もしその声が、自分の家族の声だったら?

しかも、その家族は今、隣の部屋で寝ているはずだったら?

さらに、確認しに行ったら、誰もいなかったら?

……考え始めると、きりがありません。

そして本当に怖いのは、話を聞いている最中ではなく、聞き終わったあとだったりします。

自分の家の廊下。
閉めたはずのドア。
誰もいない部屋。

普段なら何とも思わない場所が、急に気になり始める。

怖い話というのは、聞き終わった瞬間に終わるものではないのかもしれません。

怖さを完成させるのは、聞いている自分自身。

映像作品には、監督が考えた恐怖があります。

幽霊の姿も、音楽も、驚かせるタイミングも、すべて計算されています。

一方で、語りだけの怖い話には、決められた映像がありません。

白い服を着た女なのか。
顔の見えない男なのか。
それとも、人間ではない何かなのか。

語り手が詳しく説明しなければ、正体はわかりません。

だからこそ、人によって想像するものが違います。

そして、ときには自分が想像したものが、どんなホラー映画よりも怖かったりするのです。

もしかすると、怖い話の本当の演出家は、話をする人ではなく、聞いている私たちなのかもしれません。

それでも、また聞きたくなる。

不思議ですよね。

怖い思いをすることがわかっているのに、なぜか怖い話を探してしまう。

夜中に怪談を聞いて後悔したことがあるのに、また別の話を再生してしまう。

怖いものが苦手なのか、好きなのか、自分でもよくわからなくなることがあります。

でも、きっとこの感覚こそが、ホラーの魅力なのだと思います。

現実では絶対に体験したくない。

だけど、少しだけ触れてみたい。

安全な場所にいながら、日常のすぐ隣にあるかもしれない恐怖を想像する。

それが、怖い話を楽しむということなのかもしれません。

ちなみに、私はやっぱり聞く派です。

姿が見える幽霊よりも、姿がわからない何かのほうが怖い。

説明されない違和感。
最後まで明かされない正体。
そして、聞き終わったあとに残る嫌な余韻。

そういう話に、どうしようもなく惹かれてしまいます。

皆さんはどうでしょうか?

それでは、また次の記事でお会いしましょう。
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