祈り方が変わると、人生の受け取り方が変わる

祈り方が変わると、人生の受け取り方が変わる

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北川達也『祈り方が9割』から考える、神道的な祈りの本質

はじめまして。  
八咫豊と申します。

私は古神道や日本の民俗信仰の考え方を大切にしながら、霊視・波長鑑定を通して、人や場所、心に流れる“氣”を読み解く活動をしております。

今回は、北川達也さんの著書『祈り方が9割』に着想を得ながら、私なりに「祈りとは何か」について考えてみたいと思います。

祈りというと、多くの方は神社で手を合わせることや、神様にお願いをすることを思い浮かべるかもしれません。

「願いを叶えてください」  
「良いことが起きますように」  
「どうか助けてください」

もちろん、そうした祈りも自然なものです。

人は苦しい時、不安な時、自分の力だけではどうにもならないと感じた時、誰かに、何かに、すがりたくなります。

それは弱さではありません。

むしろ、人が人として生きている証のようなものです。

けれど、神道的な視点で見ると、祈りとは単に「願いを叶えてもらう行為」ではありません。

祈りとは、自分の心の向きを整える行為です。

神様に何かを差し出して、代わりに願いを叶えてもらう。

そうした取引のようなものではなく、祈りとは本来、自分の中にある濁りや迷いを静かに見つめ直し、本来の清らかな状態へ戻っていくための時間なのだと思います。

古神道では、人の心は本来、清らかなものだと考えます。

しかし、生きていれば怒りも生まれます。  
悲しみも抱えます。  
嫉妬も、不安も、焦りも、どうしようもない孤独もあります。

それらは悪いものではありません。

ただ、心の中に溜まり続けると、やがて氣の流れを重くします。

だからこそ、祈るのです。

「どうか叶えてください」と外側に求めるだけではなく、  
「今の自分は何を握りしめているのだろう」  
「何を恐れているのだろう」  
「本当はどう生きたいのだろう」

そうやって、心の奥にある声を聞いていく。

これが、祈りの本質に近いのではないでしょうか。

神社に参拝する時、多くの人は願い事をします。

恋愛がうまくいきますように。  
仕事が良い方向へ進みますように。  
家族が健康でありますように。  
お金に困りませんように。

それ自体は、とても人間らしい祈りです。

ですが、もし祈りをもう一段深めるなら、こう考えてみてもよいかもしれません。

「願いを叶えてください」ではなく、  
「その願いにふさわしい自分で在れますように」

恋愛がうまくいきますように、ではなく、  
人を大切にできる自分で在れますように。

仕事が成功しますように、ではなく、  
目の前の役割に誠実で在れますように。

家族が幸せでありますように、ではなく、  
大切な人に感謝を伝えられる自分で在れますように。

このように祈り方を変えると、祈りは単なるお願いではなく、自分自身を整える言葉に変わります。

祈りとは、神様を動かすためのものではなく、自分の心を神様の前に置き直すためのもの。

私はそう感じています。

日本の民俗信仰では、昔から日々の暮らしの中に祈りがありました。

朝、家の戸を開けること。  
水を汲むこと。  
火を扱うこと。  
食事の前に手を合わせること。  
亡くなった人を思い出すこと。  
季節の変わり目に感謝すること。

それらは大げさな儀式ではありません。

けれど、暮らしの中にある小さな祈りです。

現代の私たちは、祈りを少し特別なものにしすぎているのかもしれません。

本当は、祈りはもっと身近なものです。

朝、深く息を吸って「今日も一日を大切に過ごそう」と思うこと。  
疲れた自分に「よく頑張ったね」と声をかけること。  
誰かの幸せを、見返りなく願うこと。  
嫌な出来事の中にも、学びを見つけようとすること。

それもまた、立派な祈りです。

祈り方が変わると、世界の見え方が少し変わります。

同じ出来事でも、  
「なぜ私ばかり」と受け取るのか、  
「これは何を教えてくれているのだろう」と受け取るのかで、心の流れは大きく変わります。

もちろん、苦しい時に無理やり前向きになる必要はありません。

悲しい時は悲しんでいい。  
怒りがあるなら、まずはその怒りを認めていい。  
泣きたい時は、泣いていい。

祈りとは、自分の感情を否定することではありません。

むしろ、自分の心を偽らずに見つめることです。

そして、その心を少しずつ清らかな方向へ向けていくことです。

「私はどう在りたいのか」

祈りの中心には、いつもこの問いがあるように思います。

何を得たいか。  
何を叶えたいか。  
何を失いたくないか。

それも大切です。

けれど、それ以上に大切なのは、

どんな心で生きたいのか。  
どんな言葉を使いたいのか。  
どんな人として日々を重ねたいのか。

そこに意識が向いた時、祈りは現実逃避ではなく、生き方そのものになります。

神道における祈りは、遠くの神様に叫ぶものではなく、自分の内側にある清らかな場所へ帰っていく道なのかもしれません。

そしてその道は、特別な人だけに開かれているものではありません。

仕事に疲れた人にも。  
家族のことで悩んでいる人にも。  
恋愛で傷ついた人にも。  
将来が不安で眠れない人にも。

祈りは、静かに寄り添ってくれます。

もし今、心が重いと感じているなら、まずは難しいことを考えず、静かに手を合わせてみてください。

そして、こう唱えてみてください。

「今日までの私を、ありがとうございます」  
「今の私に必要な気づきを、お与えください」  
「私は、少しずつ整っていきます」

それだけでも、心の向きは少し変わります。

祈りとは、願いを押し通す力ではありません。

祈りとは、自分の心を整え、目の前の現実を受け取り直す力です。

祈り方が変わると、人生そのものが少しずつ変わっていく。

私はそう感じています。

参考:北川達也『祈り方が9割』

八咫豊は、古神道や民俗信仰の視点を交えながら、皆さまの心の迷いや人生の流れを丁寧に読み解く鑑定を行っております。

あなたの心が、少しでも穏やかな方向へ整っていきますように。
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