朝、鏡を見る。寝ぐせ、目の下のクマ、無表情。いつも通りの確認作業。
でもふと、この鏡の中の「自分」は、本当に私なのだろうかと考えた。
私が鏡を見ているようで、実は鏡の方が先に私を見ているのではないか。
そんな感覚が一瞬だけ、ふっと胸の中を通り過ぎた。
思えば、ココナラでサービスを始めた時もそうだった。
最初は「誰かに見てもらう」ことが怖かった。
でも実際は、見てもらう前に、見てほしいと願っていた自分がいた。
その「願い」こそが、鏡の向こうを動かす力だったのかもしれない。
「自分をどう見せるか」ではなく「どう見られているか」に囚われていた時期がある。
けれど、人は鏡を見ながら、自分を整える。
つまり、「見られること」を意識するからこそ、よりよくなろうとする。
この構造は、出品者と購入者の関係にも似ている。
サービスを出して初めて、誰かの反応という鏡に映される。
「ありがとう」の言葉に、自分の価値が見えた。
「もう少しこうしてほしい」という声に、自分の欠けを見つけた。
それらすべてが、鏡の中で少しずつ形を変えながら、今の自分を映している。
ある時、依頼者から「あなたの言葉に救われました」と言われた。
でも実は、その人の言葉に、私の方が救われていた。
鏡が、こちらをまっすぐに見返してきた瞬間だった。
あの時気づいた。
鏡とは「評価」ではなく「共鳴」なのだと。
「誰かのためにやっている」と思っていたけれど、
気づけば「誰かによってやれている」。
そう思えるようになってから、怖さよりも、楽しさの方が大きくなった。
鏡を見るのが少し好きになった。
いま、画面の中で文字を打ちながら、私はまた別の鏡を見ている。
見えない相手の向こうに、自分の姿を探している。
そして、今日もどこかで、誰かが私の言葉を読んで、
その人の鏡の中で何かが少しだけ変わる。
鏡の向こう側は、案外、優しい。
それに気づけた日から、世界は少しだけ明るくなった。