先日、ずっとお礼をしたかった方に会ってきました。
その方は「母の友人」です。
私が子どもの頃、家庭の事情で少し大変な時期がありました。
そのとき、その方から
「手紙あげるね」
と言われて封筒を渡されました。
私は普通に手紙だと思いました。
だって「手紙あげるね」なので。
手紙以外の可能性を疑う理由がありません。
ところが開けてみると、中には手紙と5,000円が入っていました。
しかも妹にも同じものが用意されていました。
母に1万円を渡すのではなく、
私に5,000円。妹に5,000円。
わざわざ別々に用意してくれていました。
子どもだった私たちを、
「母の子ども」としてではなく、
一人ひとりの人間として
見てくれていたような気がしました。
そして先日
何年も前のその出来事のお礼をしたくなり、
その方に会いに行きました。
お礼を渡すことは伝えていません。
ただ会う約束をしただけです。
すると、その方は同行していた母のために、
いつも通り野菜のおすそ分けを用意していました。
私はその光景を見て、
「あぁ、この人は本当に変わらないな」
と思いました。
こちらがお礼をしに来た日ですら、
自然に誰かのことを気にかけているのです。
そして、お礼の品と手紙を渡しました。
すると、その方は言いました。
「ゆっくり読んでみるね」
でした。
品物も渡しています。
なのに、
「開けてみるね」ではなく、
「読んでみるね」でした。
私はその一言に少し驚きました。
無意識なのか、意識的なのかは分かりません。
でも、品物ではなく手紙に焦点を当てた発言が、
その人らしい言葉だなと思ったのです。
物よりも気持ち。
そういう価値観を自然に持っている人なのかもしれません。
お礼を渡したとき、その方は笑いながら言いました。
「お互い様だよ〜」
私は心の中で思いました。
全然お互い様じゃない。
こちらは何年も前にもらった優しさのお礼を、
ようやく返しに来た側です。
そちらは子どもだった私たちに気を配り、
今でも母に野菜を持たせ、
お礼をされても笑っています。
どう考えても収支が合いません。
簿記で学んだ貸借一致の概念が崩壊します。
でも、その方の中では本当に
「お互い様」なのでしょう。
たぶん人との関わりを損得で数えていないのです。
「あの時これだけしてあげた」
ではなく、
「その時そうしたかったからした」
それだけ。
だから恩着せがましさもないし、見返りも求めない。
私はたまに考えます。
こういう人はどうやって出来上がるんだろう、と。
与えたものを覚えていない人。
誰かを助けても、それを貸しとして持たない人。
人に何かを渡すことが、呼吸みたいに自然な人。
正直、私はその境地に
達することができそうにありません。
ポイントカードは忘れずに出しますし、
10円安い卵を見つけたら普通にうれしいです。
損得勘定で動きます。
だからこそ、その方が不思議です。
あの日いただいた5,000円はもちろんありがたかった。
でも今振り返ると、一番心に残っているのはお金ではありません。
「世の中にはこういう大人がいる」
ということでした。
見返りを求めず、
気づけば誰かのことを気にかけていて、
お礼をされても、
「お互い様だよ〜」と笑ってしまう人。
たぶん私がお礼をしたかったのは、
お金に対してではなく、
あの時もらった優しさに対してだったのだと思います。