「普通」とは何か

「普通」とは何か

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 こんにちは。皆さんは自分の生活を見返して、何か感じることはありますか?
 私はルーティンというものが嫌いです。もちろん、定型化するのはミスを減らす大事な要素だと知っています。しかし、私はできる限り、ルーティンは作らないようにしています。

 では、私がルーティンを嫌う理由は何なのでしょう。実は、私の中で結構、明確なんですよね。ただ、その前に皆さんに質問します。ルーティンはよいものでしょうか?

 さて、考えてもらったところで、私の答えを出しますね。
 私がルーティンを嫌う理由は「つぶしが利かない」からです。というのも、私は躁鬱病の薬を飲むくらいに気分の変動が激しい人間です。調子が良ければ物凄いパフォーマンスを見せるし、逆に調子が悪ければ起きることすらままなりません。服薬調整で、波が少しずつ穏やかになっているとはいえど、やはり、自分の調子に合わせて動かなければ、もっと波が大きくなっていくんです。

 あまりにも起きるのが辛い時に無理して定刻に起きる必要があるでしょうか。朝ごはんやその他もろもろの時間を寝倒してでも、長く休んで、遅刻ギリギリには起きれる方が仕事を休まなくて済みます。
 あまりにも起きれないときに電話をすることすら難しいこともあります。ただでさえ、意識が混迷しているので判断が遅くなってしまうことはよくあることです。その時に「早くいかなきゃ」と思うのが社会人として当然だと思います。ただ、その意識があるだけでも休むのがおろそかになりがちです。だったら、「ごめんなさい、半休使います」って後から謝る方が私は自分の体にいいと思っています。

 ……まぁ、信頼されないのは問題なのですが。ただ、精神障害を持った時点で「また酷く落ち込むかもしれない」ということを考慮しないといけないのです。良く、ぎっくり腰はぶり返すといいますが、一度、症状が出てしまえば人間はとことん弱いです。限界を超えるな、と言われるのもそこにあるでしょう。
 実はこれって、個人的には凄く嫌な話です。私は、無理してでもちゃんと生きる方がいいと思いたいからです。ただ、自分の体がそれについていかないのも事実。悔しいけど、これが「適応思考」ってやつなんでしょうね。現実と理想を取りまとめるための考え。今の自分にはこれ以上の言い訳が思いつきません。

 ちなみに、バブル崩壊の頃から「グローバルスタンダード」という言葉が使われるようになりました。和製英語であり、造語であるがゆえに多義的な言葉なんですが、一応、終身雇用と年功序列に代表される日本的経営を見直す志向を指すようです。
 もっと言うと、類語でデジュールスタンダード(国際機関で定められている公的な認証)とかデファクトスタンダード(市場での自由競争の結果、事実上の標準と認められるようになった規格)とかもありますが、一度おいておきましょう。私が話したいのはそこではありません。

 スタンダードを定めるにはどうすればいいかという話がしたいです。
 良くも悪くも過去のタフな昭和人間と違って、繊細に生まれてくるのが現代の若者です。そんな世界でスタンダードをどこに取るでしょうか。
 法律がデジュールスタンダードだと仮定しても、現在における自由競争(社会適応)の結果、デファクトスタンダードをどこにすべきなのでしょうか。

 現代になって急に精神疾患がたくさん定義されるようになった、とか言う人もいます。それが言い過ぎかはともかく、実際に精神的な不調が注目されるようになったのは事実です。
 私の考え方はある意味、デファクトスタンダードです。実際に、そんな動き方をしてたら社会なんて回らないよって意見にはうなずきますが、できることとできないことがあるのは事実なのです。

 あなたにとっての普通って何ですか? そんなに真面目に生きれるのは凄いですよ?

 ありがとうございました。



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