竜と災害と現在――自然への畏敬を、人との関係にも

竜と災害と現在――自然への畏敬を、人との関係にも

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コラム
竜と災害と現在――自然への畏敬を、人との関係にも



「どうして、あの人はわかってくれないのだろう」


人間関係で悩んでいるとき、私たちは自分の正しさを説明することに一生懸命になります。


けれど、その前に一度立ち止まってみたいのです。


相手には、自分には見えていない事情があるのではないか。
自分のものさしだけでは、測れないものがあるのではないか。


私は、自然に対して抱く「畏敬の念」と「畏れ」が、人との関係を考えるヒントになると思っています。


竜に重ねた、自然への畏れ



火竜、地竜、水竜。


私は、竜という存在に、火や大地、水の大きな力を重ねて考えることがあります。


火は人を温める一方で、すべてを焼き尽くすことがあります。
水は命を育む一方で、洪水となれば暮らしを奪います。
大地は私たちを支える一方で、揺れることもあります。


自然は、人間にとって都合のよい顔だけを持っているわけではありません。


昔の人が竜に託したものにも、こうした自然の恐ろしさと、恵みへの感謝があったのではないでしょうか。


恐ろしいからこそ、軽く扱わない。
自分の力ではどうにもならないからこそ、敬意を持つ。


そこに、畏れと畏敬の念を感じます。


「悪い」の一言で、見えなくなるもの



今の私たちは、不安を感じるものに出会うと、すぐに「悪いもの」と決めたくなるのかもしれません。


感染症をめぐっても、感染した人を責めたり、その人の事情を知る前に距離を置いたりする場面がありました。


感染を防ぐための行動は必要です。
ただ、それと、感染した人の人格を否定することは別の話です。


不安が強くなるほど、私たちの視野は狭くなります。


「誰が悪いのか」に目が向き、「何が起きているのか」「その人はどんな状況にいるのか」を考える余裕がなくなる。


それは、日常の人間関係でも起きているように思います。


陰と陽の両方を見る



私が陰陽という考え方から受け取っているのは、一つの面だけで物事を決めつけない姿勢です。


同じ雨でも、困る人がいれば、待ち望んでいた人もいます。


人の性格も同じです。


慎重さは、ときに決断の遅さとして映ります。
行動力は、ときに強引さとして映ります。


自分が「短所」と感じている部分にも、別の場面では役に立つ面があるかもしれません。


苦しい出来事を、無理に前向きに捉える必要はありません。
ただ、今見えている面が、そのすべてなのかは考えてみてもよいと思います。


人にも、自分の理解を超える部分がある



人に対する畏敬とは、相手を怖がったり、言いなりになったりすることではありません。


「この人には、私の知らない人生がある」
「私の理解だけで、この人のすべてを決めることはできない」


そう考えて、相手を軽々しく扱わないことです。


もちろん、傷つく言葉や行為を我慢する必要はありません。相手を尊重しながら、距離を取ることもできます。


すべてに同意しなくても、相手の存在まで否定しない。


そんな見方ができたら、人との衝突は少し減るのではないでしょうか。


自然を思いどおりにできないように、人も思いどおりにはなりません。


そのことを受け入れるだけでも、私たちは少し平穏に生きられるのだと思います。


人間関係の悩みを、一緒に整理しませんか



「家族にわかってもらえない」
「相手の言葉に、いつも振り回されてしまう」
「正しさを伝えようとするほど、関係が悪くなる」


そんな悩みが続いているときは、相手の言動だけでなく、自分が何に不安を感じ、何を求めているのかを整理することも大切です。


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