「私は正しい」が、相手を追い詰めてしまうとき
「私は正しい」
「私たちの考えが正しい」
自分の考えを正しいと思うことは、誰にでもあると思います。私自身も、自分の考えを正しいと感じることがあります。
ただ、その正しさは、誰にとっても同じものなのでしょうか。
私たちは、それぞれ違う経験をし、違う価値観を持って生きています。
自分には正しいと思えることでも、相手にはそう思えないことがあります。
100人いれば、100通りの正しさがあるとも言えるでしょう。
それぞれに正しさがあるのなら、自分の正しさを主張し続けるだけでは、解決に向かわないことがあります。
むしろ、その正しさが問題を解決するための足かせになることもあると思います。
■ 解決よりも、正しさを認めさせることが目的になる
人間関係や夫婦関係のトラブルから、民族、宗教、国家の対立まで。
規模は違っても、その背景には、
「自分たちの正しさを相手にも認めさせたい」
という姿勢があるのではないかと私は考えています。
自分にしか理解できない正しさ。
自分たちの中でしか通じない正しさ。
それを相手にも求め、受け入れない相手を間違っているとする。
そして、相手が自分たちの正しさを認めるまで争いを続けてしまう。
そうなると、問題を解決することよりも、相手を従わせることが目的になってしまいます。
「どうすれば解決できるか」より、
「どうすれば私が正しいと認めさせられるか」。
ここに、関係がこじれていく理由の一つがあるのではないでしょうか。
■ 相手を悪くするほど、自分は正しく見える
自分の正しさを強調しようとすると、相手の間違いや悪いところを挙げたくなることがあります。
「相手が悪い」
「相手が間違っている」
「だから、こちらが正しい」
相手を悪い存在として扱うほど、自分の正しさを説明しやすくなります。
けれど、相手も同じように考えていたらどうでしょうか。
お互いが相手を悪いとし、自分の正しさを認めさせようとする。これでは、どちらも引くことができません。
私は、こうして正しさを武器に相手を屈服させようとすることが、「正しさという暴力」になるのだと思っています。
言っている内容が正しいかどうかだけでなく、その正しさを使って相手に何をしようとしているのか。
そこにも目を向ける必要があると感じます。
■ 自分の正しさを、問い直してみる
相手の間違いには気づいても、自分の正しさを疑うことは難しいものです。
しかし、自分だけが正しいという前提に立ち続けていると、相手の言葉も、自分に都合のよい部分しか受け取れなくなることがあります。
「私は、本当に正しいのだろうか」
「自分の価値観を、相手にも当然のように求めていないだろうか」
「問題を解決したいのか、それとも自分の正しさを認めさせたいのか」
こうした問いを持つことが、問題解決の入り口になるのではないでしょうか。
相手に自分の正しさを認めさせようとする姿は、自分ではなかなか見えません。
だからこそ、正しさにこだわっている自分を振り返ることが大切なのだと思います。
■ 正しさにこだわって、関係が動かなくなっている方へ
「自分は間違っていないのに、なぜ関係がよくならないのか」
「話し合っても、いつも同じところでぶつかる」
「相手が変われば解決すると思っている」
そんなときは、相手の問題だけでなく、自分がどのような正しさにこだわっているのかも見てみませんか。
あかつき道整骨院では、身体の不調に加え、夫婦関係、家族関係、人間関係についてのご相談もお受けしています。
お話を伺いながら、繰り返している問題や、ご自身の考え方を整理し、関係を見直すための視点を一緒に探していきます。
自分の正しさに疑問を持つことから、見えてくるものがあるかもしれません。