諦めているのに、言葉が刺さる。親を「第三者」と見れない私。
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子供の頃、親から毎日振るわれる暴力。
自分の思い通りにならないと、殴る、蹴る。
そんな環境で育った私は、大人になった今でも
親から「お前はどうしようもない」と言われ続けています。
頭では、もうあの人に対して完全に諦めています。
期待なんて1ミリもしていません。
他人のように、一歩引いた「第三者」の目で見ることができれば
どれだけ楽になるだろうかと思います。
「でも、それができていません」
いまだにその理不尽な言葉を向けられると
胸に刺さるし、激しい怒りが湧き上がって
親に対して敵意をむき出しにしてしまいます。
言われっぱなしでいる必要なんてない。
だからそこに「自分を責めるような自己嫌悪」は一切ありません。
怒りも敵意も、向けるべき相手に真っ直ぐ向けているだけです。
ただ、ふと思うのです。
「完全に諦めているはずなのに、どうして私はまだ
エネルギーを使って敵意を剥き出しにしてしまうんだろう」
「いつになったら、ただの他人として、冷めた目でスルーできるように
なるんだろう」と。
割り切りたいのに、目の前の理不尽を前にすると
どうしても「第三者」にはなれない。
その境界線で、今も私は生きています。
私は、「親を許して前に進みましょう」なんて言葉を
言うつもりはありません。
私自身が今も、その割り切れない怒りと
スルーできない現実の中で生きているからです。
だからこそ、誰にも言えない親への激しい敵意
どうしてもスルーできない悔しさ、怒ってしまう心の声を
私は絶対に否定しません。
「親が憎くてたまらない、ぶつかってしまう」
「割り切りたいのに、どうしても第三者になれない」
その行き場のない怒りや、割り切れない思いを
そのまま私に吐き出しに来てください。
正論であなたをなだめるのではなく
同じような感情を抱いてる人間として
あなたの言葉をただ静かに受け止めます。
親子の関係を法律で完全に切ることができません。
現実的な対策は「親を自分の人生から物理的・情報的に完全追放する」
ことです。わかっているのですが、私は、現在の家族の状況などを
総合的に判断して実行に移せていません。