「大きな何かに、後押ししてほしい」
そう思った夜のことを、誰にも話せずにいませんか。
龍神、と検索したことがある。神社では、水の神様の前でだけ足が止まる。それを人に言うのは少し気恥ずかしい。
でも、自分の努力だけではどうにもならないものがあると、本当はずっと感じている。
その感覚は、弱さではありません。
昔の人も、まったく同じことを感じていました。日本中の水辺に龍を祀る場所が残っているのは、そのためだと私は思っています。
◆ 「龍とは何か」私の視え方から
私は、人の内側を水の流れとして視ています。
ご相談者様と意識をつなぐと、澄んで流れている場所と、淀んで止まっている場所が、夜の水面のように静かに浮かび上がってきます。
その流れの、ずっと奥。
ひとりの人の流れよりも、はるかに大きな流れが、音もなく動いていることがあります。
龍とは、どこか遠くの空にいる存在ではありません。
私には、その大きな流れそのものの姿だと視えています。
それが動くとき、昔の人はその姿を「龍」と呼んだ。
水を離れた龍が、どこにもいないのはそのためです。
◆ 初めて水龍に触れた夜の話
忘れられない鑑定があります。
ある方の流れを視ていた夜のことです。淀みの原因を探して、流れを下流へ、下流へと辿っていくと、その方の流れが、もっと大きな流れに注ぎ込んでいる場所に出ました。
個人の澄みや淀みとは、まるでスケールの違う流れでした。
音もなく、けれど確かに動いている。夜の水面の下を、大きなものがゆっくりと通り過ぎていく。
その動きの姿を視た瞬間、言葉より先に分かったのです。ああ、昔の人はこれを龍と呼んだのだ、と。
よく「龍神とつながる」という言い方をします。
けれど、あの夜の感覚は「つながった」ではありませんでした。
「触れた」それがいちばん近い言葉です。
呼べば来てくれるものではありません。
願えば動いてくれるものでもありません。
ただ、こちらの水面が静まっている夜にだけ、その気配が届く。
それだけのものでした。
◆ 触れている時期と、離れている時期
その夜から、鑑定の中でときどき、ご相談者様の流れがこの大きな流れと触れ合っている場所が視えるようになりました。
触れている時期の方は、無理をしなくても物事が運びやすくなっています。
漕がなくても進む、という言い方が近いかもしれません。
離れている時期の方は、どれだけ漕いでも進みません。
けれど、ここが一番お伝えしたいところなのですが、それは見放されたということではないのです。
大きな流れとの位置関係が、いまは離れているというだけのこと。
多くの場合、それは水量を溜めている時期と重なっています。
そして、大きな流れは、特別な人にだけ流れているものではありません。
誰の流れも、辿っていけば同じ大きな流れに注いでいます。
気配を感じられない時期があるのは、縁がないからではなく、水面が波立っていて届きにくいだけ、ということがほとんどです。
◆ おわりに
「大きな何かに後押ししてほしい」と思う夜は、あなたの流れが、大きな流れとの位置関係を確かめたがっている夜なのかもしれません。
あなたの流れがいま、水龍とどこで触れ合っているのか。
進む時期なのか、水量を溜める時期なのか。
ひとりでは見分けがつかない時は、どうぞ私にも視せてください。
あなたの水面が静まった夜に、気配が届きますように。
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霊視鑑定士・天藍
人の内側を「水の流れ」として視る霊視で、止まっている場所を見つけ、動かすための鑑定をしています。
創作・恋愛・仕事などのご相談を承っております。