AIでサイトが作れる時代に、デザイナーに頼む意味はあるのか。
AIのデザインと人のデザインの違いは、どこにあるのか。
最近、その答えの輪郭が少し見えた気がしたので、書き残しておきたい。
AIの音楽より、雑なテロップの動画に見入ってしまった
きっかけはインスタだった。
きれいな音楽ならAIでいくらでも出せる時代に、雑なテロップと、ピアノと、よくわからない楽器を使って、生声で歌っている動画があった。正直、音楽の質なんて私にはわからない。それなのに、なぜか見入ってしまった。これがAIの生成した動画だったら、たぶん一瞬で流していたのに。
しばらく考えて、気づいた。私は音楽を聴いていたんじゃなくて、人を見ていたのだと。
その動画には、映っていないものが全部透けて見えた。この人がピアノを覚えた時間。テロップを貼った夜。「投稿するのは恥ずかしいけど、出そう」と決めた瞬間。人が何かを差し出すとき、そこには必ず失敗の可能性や照れが乗っている。私が見入っていたのは、その「賭け」の部分だった。
雑なテロップは、ノイズじゃなかった。人がここにいた、という証拠だった。
AIと人のデザインの違いは「痕跡」──そして痕跡とは手作りのことではない
ここで大事なのは、痕跡=手作り、ではないということ。
下手でも自分で弾いたピアノは、時間と羞恥心を賭けている。 お金をかけてデザイナーにサイト制作を依頼することは、お金と「自分の事業をちゃんと見せたい」という願いを賭けている。 完璧じゃないけれど自分で撮った雰囲気写真は、「うまく撮れないかもしれないが、それでも」という意思を賭けている。
形は違っても、共通しているのは、その人の本気の重みがそこに乗っていること。
逆に、AIの生成物が素通りされるのは、下手だからでも無料だからでもない。誰も、何も賭けていないから。 コストゼロの表現には「この人にとって、これが大事だった」という信号が乗らない。私たちは無意識にその信号を探していて、見つからないと一瞬で興味を失う。
きれいなのに冷める、AIで作ったサイトの正体
先日、あるトークリールを見た。顔出しで、テロップは雑で、でも語っている内容がすごくよくて、熱量がものすごく高い人だった。
気になって公式サイトを見に行った。
すごくきれいだった。でも、AIで作ったサイトだとわかった。そして自分でも意外なくらい、すっと冷めてしまった。
サイトのデザインが下手だったからじゃない。リールで受け取った「この人は本気だ」という信号が、サイトで途切れたからだ。リールではあんなに賭けていたのに、サイトでは誰も賭けていなかった。あの熱はどこへ行ったんだろう、という落差。
「AI製だ」と見抜けるのは今のところプロだけかもしれない。でも、一般のユーザーもAIサイトの違和感は受け取っていると思う。きれいなのに、なぜか記憶に残らない。なぜか問い合わせボタンを押す気にならない。理由は説明できないけれど、リールの人とサイトの人が、同一人物に見えない。人間は、矛盾の検出だけは異様に鋭い。
サイトは情報の羅列ではなくて、その人の熱量が着地する場所なのだと思う。リールが「出会い」なら、サイトは「家に招く」段階。家がモデルルームみたいに無人格だったら、あれ?となる。
じゃあ、どんなサイトデザインなら正解だったのか
考えてみたら、答えは2つあった。
ひとつは、駆け出しの賭け方。 手作りで、整っていなくて、でも一生懸命に作ったとわかるサイト。それはリールの熱量とちゃんと繋がる。「この人、始めたばかりだけど全部自分でやってるんだ」と、むしろ応援したくなる。
もうひとつは、売れている人の賭け方。 デザイナーにがっつり依頼して、世界観を作り込んで、生徒の声も代表メッセージも充実させたサイト。「この人は自分の事業をここまで大事にしているのか」という、別種の信号になる。
どちらかだったら、私はめちゃくちゃそそられたと思う。
つまりこの2つは、両極端に見えて同じひとつの正解なのだ。分相応の本気、ということ。
あのサイトが冷めたのは、そのどちらでもない中間だったから。手作りの必死さもなく、投資の重みもなく、「ちゃんとして見えるものを最小コストで」という選択だけが透けて見えた。きれいなのに一番信号が弱いゾーンというものがあって、AIで作ったサイトはちょうどそこに着地してしまう。整いすぎていて応援もできず、薄すぎて本物の格も感じられない。
私もAIを使っている──それでも残るもの
誤解のないように書いておくと、私自身、AIを日常的に使っている。誤字脱字の添削、アイデア出し、表現のサポート。なんならこの記事だって、最終的にはAIにリライトさせている。
でも、ここに書いたエピソードは全部、私の体験だ。雑なテロップの動画に見入ったのも、あのサイトで冷めたのも、私の目と感覚が拾ったこと。だからこそ読み応えがあるのだと思う。AIは文章を整えられるけれど、体験だけは生成できない。
そしてもうひとつ。AIが何を出してきても、最終判断は私がしている。「それは違うやろ」と思うことは多々ある。AIはこう言うが、私はこう思う──その判断の連続こそが、デザイナーの個性であり、人間的な感覚なのだと思う。同じAIを使っても、何を採用して何を捨てるか、捉え方に個性が出る。
Nariaに依頼してくださる方は、たぶん私のその判断に賭けてくれている。
「涙が出ました」と言われる理由
クライアントとのヒアリングのあと、事業の本質を汲んだサイトのテキストやデザイン全体をお見せすると、「涙が出ました」と言われることがある。
最初は、なぜ涙が出るんだろう?と一瞬わからなかった。
でも今は、こう思っている。その人が今まで取り組んできたこと、信じてきたことが、ホームページという形にきちんと構築されたことで、**「オフィシャルに肯定された」**という気持ちになったのではないか。
面白いのは、クライアントのみなさんもAIを駆使していることだ。それでも最終的には、人である私に頼んだ。そして涙が出た。
それはたぶん、人に肯定されたからだ。AIはユーザーを肯定する。それはもうわかりきったことで、だからAIの肯定は嬉しくない。何を出しても「素晴らしいですね」と返ってくる相手の言葉に、重みは乗らない。「違う」と言える人間が「これはいい」と言うから、肯定に意味が生まれる。
人の言葉は、ずっと残る
私もAIにいろいろ相談する。それでも、半年に1回、占い師のところに行く。
占い師は人相や血色を見たりしているらしい。理屈で言えば、AIのほうがよほど多くの情報を処理できるのかもしれない。でも、あの場で人からもらった言葉は、ずっと残っている。何ヶ月も経ってふと思い出して、支えになったりする。
たぶん、みんなにそういう体験があると思う。情報としては同じことをAIが言えたとしても、人が自分を見て、自分に向けて発した言葉だけが残る。デザインも、きっと同じだ。
AI時代のデザイナーの仕事は、痕跡の翻訳と、判断への責任
AIが増えるほど、デザイナーの仕事の意味がはっきりしてきた気がする。
私が作っているのは、単にサイトではなくて、「この事業主は、自分の仕事を大事にしている人だ」という信号そのものなのだと思う。クライアントは、デザイナーに依頼した時点で、もう痕跡を残し始めている。デザイナーは、それを訪れる人に伝わる形へ翻訳する人。そして、AIが無数に出してくる「正解っぽいもの」に対して「違う」と言い、これだと決める判断に責任を持つ人。
今のあなたのステージなら賭け方はこっちです、と見立てること。駆け出しの人に作り込んだサイトが常に正解なわけではないし、逆に、すでに売れている人がテンプレートやAIで済ませていたら、それは機会損失になる。事業のステージとデザインの一致を見極めることが、デザイナーの視線の価値なのだと思う。
きれいなサイトは、これからいくらでも自動で作れるようになる。
でも、人がここにいた痕跡と、人に肯定された記憶だけは、人からしか受け取れない。
Naria は、個人事業主・小規模ビジネスのためのWebサイト制作を行うデザインスタジオです。
ヒアリングを通してあなたの事業の本質を汲み取り、「この人は自分の仕事を大事にしている」と伝わるサイトを、テキストからデザインまで一貫してつくります。
あなたの熱量が着地する場所を、一緒につくりませんか。
→ 制作実績・ご依頼はこちら|Naria