MARIは震える指でスマートフォンを握り締め、ためらいながらもAYUMIの番号を押した。久しぶりの電話だ。
コール音が響くと、遠くから懐かしい声が静かに返ってきた。
「……MARI?」
予想外に優しく響くその声が、胸を締めつける。
「久しぶり。」
「どうしたの?」
AYUMIはすぐに気づいた。MARIの声に潜む影に、不安がにじんでいる。
「……あの人が、会社を辞めたの。」
その言葉で、空気が一変した。電話の向こうでAYUMIが一瞬息を呑んだ気配がしたが、彼女の声は驚くほど冷静だった。
「……そうなんだ。」
静かな反応に、MARIは戸惑いを覚える。
「理由はわからない。でも、彼があんな形で会社を去るなんて、どうしても納得できなくて。」
重い沈黙が流れた。MARIは息を詰める。
やがてAYUMIが低く問いかける。
「あなた……何か関わってるの?」
その問いが、MARIの心臓を凍りつかせた。
「まさか……そんなこと……」
自分の声に、自分でさえ苦しくなる。
AYUMIはため息をつく。
「もう一度聞くけど、あなたが彼を追い詰めたんじゃない?」
核心を突かれ、MARIは言葉に詰まる。
「違う……私は……ただ……」
AYUMIの声は静かだった。
「でも、彼が辞めるのは、初めから決まっていたことじゃない?」
「……そんなの、誰にもわからない……!」
MARIの声が震えた。
「彼が辞めた理由は私にもわからない。でも彼はいつも孤独だった。誰にも頼らず、自分の道を選ぶしかなかったんだ。」
MARIは拳を強く握った。
「どうしてそんなに冷静でいられるの?」
「私が彼を愛しているから。」
その言葉は静かで、それでいて揺るぎない確信に満ちていた。
「彼は誰よりも自分の道を貫いた。それを信じることが、私の愛なの。」
胸の奥が鋭く痛んだ。
「……AYUMI、あなた……あの人と身体の関係があったの?」
問いかけた瞬間、自分の愚かさに気づく。
AYUMIは沈黙したまま、ゆっくりと答えた。
「どう思う?」
MARIは唇を噛んだ。
「……わからない。でも、あんな空気になるのは……」
「想像に任せる。でもお願い、彼のことを安っぽく扱わないで。」
AYUMIの声に少し力が込められる。
「私は何を言われても構わない。でも彼をそんな風にするのは悲しい。」
その言葉に、MARIの胸の奥で何かが崩れた。
AYUMIの愛は、思っていた以上に深く強かった。
「でも、彼は私の身体には興味なかった。ただ、私の心を受け止めて、愛してくれただけ。」
MARIは息を呑んだ。
「どうして、そんなに人を信じられるの?」
「あなたにはわからないんじゃない?」
AYUMIの静かな声が、あの人の言葉と重なった。
「MARI……あなたは、本当に誰かを愛したことがあるの?」
胸の中で何かがはじけた。
痛い。
苦しい。
でもそれが何なのか、まだわからなかった。
沈黙の中、AYUMIは最後に静かに言った。
「さようなら、MARI。いつか、本当の愛に出会えることを祈ってる。」
——プツッ。
電話は切れた。
MARIはその場に立ち尽くし、動けなかった。
AYUMIの言葉も、あの人の面影も、心の中を支配していく。
残ったのは、絶望と虚無だけだった。
「もう何もできない……でも、これで終わりにしよう。」
過去の重みで押し潰されそうになりながら、MARIは机に向かいペンを取った。
そして、静かに退職届を書き始めた。