MARIは、常に「正しさ」の側に立って生きてきた。
親は公務員。家はどこにでもある中流の家庭で、堅実そのもの。父は几帳面で口数が少なく、母はよく笑うが感情の起伏は穏やかで、いつも周囲に「ちゃんとした子育てをしている」と思われたがっていた。
「真面目でいなさい」 「間違えないでね」 「恥ずかしくないように」
そうした言葉はMARIにとって、もはや空気と同じだった。聞き飽きても、無視できない。彼女は、そういう世界で育った。
器用で、気が利き、笑顔もきれい。
けれど、本音を出すのは苦手だった。何かを「間違える」ことに人一倍の恐れがある。だから、常に空気を読み、正しい方向へ身を投じる。結果として、どこでも浮かず、でも誰の心にも深くは残らない。
それが彼女の「正しさ」だった。
偽物の「本物思考」
「私、本物が好きなの」
MARIは、そう言う。
ブランドのバッグ、艶やかな本革の靴、スカーフ、香水、インテリア。全てにおいて「それっぽいもの」を好んだ。だが、それは「本物」そのものではなかった。ただ、“本物っぽい何か”に身を包むことで、自分の価値が上がる気がした。
彼女にとっての「本物」は、「本物に見られること」。
見られる自分こそが、アイデンティティの核だった。
人前では常に「分かってる風」の言葉を選ぶ。
「やっぱり、イタリアンレザーの方が肌なじみがいいよね」 「ここのオリーブオイルは、香りが違うのよ」
本で得た知識、ネットで見かけたレビュー、Instagramで見た流行。
それを“自分の感覚”に見せかける。真実なんて、どうでもよかった。ただ、上品で賢く、美しく見えることが重要だった。
「MARIってセンスあるよね」
その言葉が、何よりのご褒美だった。
「大人の男」への幻想
同年代の男たちには、いつもどこか失望していた。
LINEの返しが軽い。話題が浅い。服のセンスも微妙。何より、自分のことを「価値あるもの」として扱ってくれない。
だから、彼女は年上の男を選んだ。
丁寧な物腰、食事のマナー、選ばれるレストラン。どれも完璧で、MARIを“女性”として扱う言葉と手つきに、彼女は酔った。
「MARIさんって、本当に綺麗ですね」
——この人は、わかってくれる。
だが、その関係はいつも長続きしなかった。
彼らが求めていたのは“自分を映す鏡”であって、MARI自身ではなかった。
「また時間ができたら連絡するよ」
その一言が来た時、もう次はないとわかっている。
傷ついたふりをせず、「そうなんですね」と笑顔で返す自分。
ワイングラスの向こう、鏡に映った唇にもう一度ルージュを引く。
「大丈夫。私は“ちゃんとした”女だから」
そう言い聞かせて、彼女は“虚しさ”という名の感情を上塗りする。
大学受験の敗北と母の沈黙
MARIの人生における、最初の「本格的な失敗」は大学受験だった。
目指していたのは、GMARCH(ジーマーチ)。偏差値もそれなりにあった。進学校の中では中の上。決して無理ではなかった。
……はずだった。
結果は、全滅。
滑り止めで受けていた、偏差値の低い私立にだけ受かった。
母の言葉は、簡潔だった。
「……まぁ、しょうがないわね」
励ましも、慰めも、なかった。ただの“評価”だった。
——正しく生きても、評価されないことがある。
その時、初めて知った。
偽りの自信と、偶然の出会い
就活が始まり、MARIは例によって“正しい”選択をした。
無難なスーツ。清潔感のあるメイク。志望動機はテンプレートをアレンジした“それっぽい”言葉。
「安定した企業に入りたい」 「社会に貢献したい」
けれど本音では、自分を“それなりの女”として見てくれる会社に行きたかった。
大手ナビサイトの合同説明会。MARIは、目的もなく足を運んでいた。
いくつかの内定は持っていたが、どれも「名のある企業」ではなかった。
「企業の規模なんて関係ないよ」
そう友達に言っていたが、本心では「勝った」と思いたかった。
その時だった。
一つのブースの前で、見慣れない企業のパンフレットを配る若い男性と目が合った。
「ぜひ、説明だけでも聞いてみませんか?」
普通なら、スルーしていた。
けれどその男性の目は、どこかMARIの“鎧”を見透かすようだった。
「オフィスにも、ぜひいらしてください」
まっすぐな声。媚びも下心もない。
MARIは一瞬、戸惑った。
だが、彼女には「後に引けない」癖があった。
だから、うなずいた。
——その出会いが、MARIの中にあった「正しさ」という檻を、少しずつ揺さぶり始めていた。
※主人公であるMARIはTYPE理論でいうTYPE‐B(意識レベル2_社会適応の罠)属性である。この小説を通してあなたの傍にいるTYPE‐Bの特性を感じてほしい。