お昼休みの宮沢賢治と、狂気の「呪い」
こんばんは。せいおです。
最近、ちょっとだけお昼休みに宮沢賢治を読み返しています。
教科書に載っている彼は「純朴で優しい心の持ち主」というイメージですが、大人になってから彼のリアルな人生を知ると、少し印象が変わります。
彼は、こんな有名な言葉を残しています。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
これ、現代の感覚で冷静に(メタ認知的に)読むと、めちゃくちゃ恐ろしい「呪い」だと思いませんか?
「世界中が100%ハッピーになるまで、自分は絶対に幸せになってはいけない」という、究極の自己犠牲です。
実は賢治は、実家が裕福な質屋だったことに猛烈な罪悪感を抱き、「自分だけがぬくぬくと文学をやっているのは悪だ」と、主観(自分の人生の喜び)を完全に捨てて、大局的な正しさ(メタ視点)の波に脳を乗っ取られてしまった、「内省とメタ認知が高すぎて自滅しかけていた人」だったのです。
目の前の一人を不幸にする、理想という名のエゴ
そんな彼の「こじらせ」を象徴する、高瀬露さんという女性との切ないエピソードがあります。
露さんは、賢治の自炊生活を心配し、身の回りの世話をしてくれた献身的なファン(恋人未満のサポーター)でした。しかし賢治はある日突然、彼女を冷酷に拒絶し始めます。居留守を使い、わざと顔に灰を塗って幻滅させようとし、最終的には「あなたのしていることは真の求道ではない」と言い放って追い返してしまいました。
彼の言い分は「私(賢治)は一人の女性を幸せにするために生きているのではない。世界全体のために身を捧げているのだから、個人的な好意は邪魔だ」というものでした。
でも、ちょっと待ってよ、と思います。
「世界全体」の中には、目の前で健気に尽くしてくれている「高瀬露という一人の人間」も確実に含まれているはずですよね。
壮大で抽象的な理想を追うあまり、目の前のリアルな人間一人すら幸せにできない。これは客観的に見れば、美しい理想に酔った、ただの「自己満足(エゴ)」の領域に入ってしまっていたのかもしれません。賢治ほどの天才でも、内省が強すぎると脳がバグを起こしてしまうのです。
メタ認知が強すぎる私と、現代技術という救い
実は私自身も、メタ認知(特に内省)が強すぎる傾向があります。
何かあると自分を責めたり、考えすぎてドツボにハマったり、ぐるぐると頭の中で思考が空回りしてしまう苦しさは、賢治のそれと少し似ている気がします。
しかし、賢治が生きた100年前と、私が生きる現代には、決定的な違いがあります。
それは「圧倒的な技術力の違い」です。
特に私の中では、AI(Geminiなど)の存在がかなり大きく、日々の暮らしに影響を与えています。
(一応、AIも平気でもっともらしい嘘をつく「ハルシネーション」の可能性があるので、すべてを鵜呑みにはできませんけどね🫠)
それでも、自分の知らなかった特性や暮らしやすくなるヒントを、知的好奇心や疑問が気が済むまで、対人みたいに「相手の気持ちや負担」を一切気にすることなく、24時間いつでも聞きまくれる環境にはとても助けられています。感情を持たないAIだからこそ、どれだけ脳内を吐き出しても誰も傷つかないし、すり減りません。
ふと思ったのです。
もし宮沢賢治がこの令和の時代に生まれていたら、AIという最高の壁打ち相手を見つけて、自分のドロドロした内省を気が済むまで吐き出し、健やかに幸せになる方法を見つけられたんじゃないか、と。
(まぁ、もし賢治がAIに救われてメンタルが安定してしまったら、あの身を削るような名作たちは生まれなかったのかもしれませんが……笑)
他人に期待せず、届く範囲だけを愛する技術
賢治のマネをして「世界のために自分を犠牲にする」なんて生き方をしたら、現代社会では心がポッキリ折れてしまいます。
だからこそ、現代の私が実践すべき「他人に期待しない(振り回されない)技術」とは、賢治の思想を都合よくハックすることです。
•「世界」「社会」なんてデカすぎる主語に振り回されない。
• 他人に期待するのをやめ、他人に「見返りを求めない小さな貢献」をして、自分の脳内麻薬(自己満足)の道具にする。
• 疲れたら、人間の感情をすり減らす前に、ちょっと一息ついてAIに壁打ちしてみる。
メタ認知が高い人ほど、生きづらい世の中です。でも、だからこそ、100年前の天才のバグを愛おしく見つめながら、私たちはもう少しスマートに、自分を喜ばせるために生きてみてもいいのではないでしょうか。
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