「自分の価値が失われる時代」に私たちはどう生きるべきか?

「自分の価値が失われる時代」に私たちはどう生きるべきか?

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学び
ぷれぜん仙人です。

今日は、AI時代において「自分のスキルの価値が失われていくこと」について考えてみたいと思います。

AIの進化によって、これまで価値があると思われていた仕事やスキルが、どんどん陳腐化していく時代になりました。

何年もかけて身につけたスキルが、ある日突然「もう必要ない」と言われてしまう。実際にその仕事をしてきた人間からすると、かなり残酷な話だと思います。

しかも、本人がどれだけ頑張っても、その流れを止めることはできない。

私自身も、プレゼン資料の制作を仕事にしてきた人間なので、決して他人事ではありません。
今日はそんな話から、これからの時代の生き方について考えてみたいと思います。

プロの仕事が「もう必要ない」と判断される時代


きっかけは、SNSで見かけたあるデザイナーの投稿でした。

AIによってデザインの仕事がどんどんなくなっているという切実な話です。

その中で印象に残ったのが、クライアントがAIを使って自分でデザインできるようになった途端に、

「もうプロのデザイナーに頼む必要はないよね」

と判断し始めている、ということ。

たぶん、プロのデザイナーから見たら、AIが作ったデザインなんて不十分な部分がたくさんあると思うんですよ。

文字の配置がおかしい。余白の取り方が美しくない。全体のバランスが悪い。
プロの目から見れば、いくらでも改善点が見つかるでしょう。

ところが、お客さんの方はそう思っていない。

「いや、これで十分じゃん!」
「今まで5万円とか10万円払っていたのが、タダ同然でできるじゃん!」

となるわけです。

ここが非常に重要なポイントだと思います。

プロが考える品質と、お客さんが求めている品質は、必ずしも一致していないということです。

プロの目から見れば70点の仕事だったとしても、お客さんが「これで十分」と判断すれば、それ以上の品質にはお金を払わない。ある意味で当たり前の市場原理です。

しかし、長年その仕事をしてきたプロからすると、なかなか受け入れがたい現実なのではないでしょうか。

24,000円のプロより、3,000円の素人


実は、最近、私自身の経験にも、これとよく似た話がありました。

私は田舎に土地を所有しているのですが、雑草が伸びてしまったので草刈りを依頼することにしました。

最初にプロの業者に見積もりをお願いしたところ、約24,000円。

一方で、ジモティーで個人の方にお願いしたところ、3,000円で引き受けていただけました。

もちろん、プロと素人では技術も道具も経験も違うでしょう。プロにお願いすれば、もっと綺麗に仕上がるのかもしれません。

でも、私としては、

「いや、今回の草刈りなら3,000円で十分だよね」という判断だったわけです。
そして、実際にやってもらったら本当に十分でした。

これって、先ほどのデザイナーの話と全く同じなんですよね。

プロの業者からすれば、
「素人の草刈りと一緒にしないでくれ!」
と思うかもしれません。

でも、依頼する側からすれば、目的を達成できるのであれば、それで十分なのです。
私自身、プロの草刈り業者の技術や価値を否定しているわけではありません。

単純に、そこまでの品質を必要としていなかったという話です。

そして、これからAIによって、同じようなことがあらゆる業界で起きていくのだと思います。

プレゼン資料制作も例外ではない


私が長年やってきたプレゼン資料制作も同じです。

これまでは、情報を整理して、分かりやすいストーリーを構成し、それを実際のスライドに落とし込むことに価値がありました。

特に「資料構成」というのは、誰にでもできる仕事ではありません。情報を読み解く力も必要ですし、論理的な思考力も必要です。

その上で、分かりやすいページデザインに落とし込むスキルも必要になります。

だからこそ、そこにお金を払っていただけていたわけです。

ところが、AIがこれらを一通りできるようになってしまったらどうでしょうか?

もちろん、プロの目から見た言い分はあるかもしれません。

でも、お客さんが、
「いや、これで十分だよ」
と判断してしまったら、それまでなんですよね。

重要なのは、プロが自分の仕事にどれだけ価値があると思っているかではなく、お客さんがそこにお金を払う価値を感じているか?ということです。

どれだけ優れた技術を持っていても、必要としてくれる人がいなくなれば、ビジネスとしては成立しません。

こうした脅威が、デザイナー、プログラマー、ライター、弁護士や税理士のような専門職まであらゆる業界、あらゆる職種をこれから時間を追うごとに襲っていきます。

フリーランスのような守られていない立場は言うまでもなく直接的に仕事を失うことになるでしょう。

大企業のサラリーマンのような人は短期で見たら守られているかもしれませんが、中長期で見たら同じように脅威にさらされていきます。

これは、かなり厳しい現実だと思います。

自分が積み上げてきた価値が、陳腐化する苦しさ


ただ、ここで考えたいのは、単なるお金だけの話ではありません。

私は、これまでの人生で積み上げてきた経験やスキルが陳腐化していくことには、人間の根源的な苦しさがあると思っています。

例えば、20年間デザイナーとして頑張ってきた人がいたとします。
人一倍努力して、センスを磨き、技術を身につけてきた。
その結果、周囲からも評価され、お客さんからも感謝されてきた。

ところが、AIが登場したことによって、

「もうあなたの仕事は必要ありません」

と言われてしまう。

これは単純に収入が減るというだけの話ではない。

自分がこれまで積み上げてきたもの。自分の誇り。自分のアイデンティティ。そういったものまで否定されたような気持ちになります。

これからの時代、この苦しみはあらゆる業界、職種、国で発生していくものだと思います。

これはかなり理不尽であり、一種の暴力でさえあり、精神を病む人もたくさん増えると言われてますよね。

では、私たちはそんな時代にどう生きていくべきなのでしょうか??

砂曼荼羅が教えてくれる「無常」


こういうことを考えていると、私は「砂曼荼羅」の話を思い出します。

チベット仏教には、僧侶たちが何日もかけて、色のついた砂で精巧な曼荼羅を作る儀式があります。

これ自体が瞑想の儀式であるのですが、そこには一種の「アート」とも言える美しさがあるのです。

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ところが、完成した曼荼羅は、完成した瞬間に壊してしまうんですね。
せっかく何日もかけて作ったのに、あっさり壊してしまう。

これは仏教における「無常」を表現しているものです。

世の中に、永遠に続くものなど存在しない。

どれだけ美しいものでも、どれだけ価値があるものでも、どれだけ努力を注ぎこんで作ったものでもいつかは失われていく。

そういうことを体感するための儀式であるわけです。

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私たちの人生も同じですよね。

お金も、地位も、名誉も、容姿も、スキルも。

どれだけ頑張って手に入れたとしても、永続するものは何もない。

今、ものすごく成功している人だって、明日にはすべてを失うかもしれない。

何かスキャンダルを起こして、一瞬で社会的な信用を失うこともある。

あるいは、何も悪いことをしていなくても、新しい才能が登場したり、時代の変化によって仕事がなくなってしまうこともあります。

若い頃に美貌を武器にしていた人が、加齢によってそれを失う。

大企業で偉い役職についていた人が、引退によって急にすべてを失った気がする。

人間は、どうしても自分が手に入れたものを永遠に保持したいと思ってしまいます。
でも、そんなことは不可能です。

すべては縁起によって成立している


仏教には「縁起」という考え方があります。

簡単に言えば、あらゆるものごとは、それ単独では存在しておらず、さまざまな関係が組み合わさることによって成立しているという話です。

例えば、今ある人が年収3,000万円を稼いでいたとしても、それはその人の能力だけで実現しているわけではありません。

その人の歩んできた人生。獲得してきたスキルや知識。時代の流れ。市場の需要。出会ったお客さん。競合の状況。社会の価値観。

さまざまな関係性の結び目としてその収入が成立しているわけです。

当然、その関係性が変われば結果も変わります。

今は年収3,000万円でも、来年は300万円になるかもしれない。

逆に、今は年収300万円の人が、何かのきっかけで3,000万円になることもあるでしょう。

それが縁起というものです。

自分の価値にも、自分の社会的評価にも、自分の年収や肩書きにもすべて実体はありません。すべては関係性によって成り立っているので、関係性が変わればその意味も変わります。

とはいえ、頭では分かっていても、なかなかそう思えないのが人間なんですけどね。笑

特に、今みたいな激動の時代においては頭で理解していても、その変化に悩み苦しむ人がたくさん出てくるのは仕方ないことだと思います。

私自身もずっと悩んでいますし、答えも出ていません。

そもそも人生に「正解」なんてあるのか?


では、こういう時代に、どう生きていけばいいのでしょうか?

開き直るわけじゃないですが、そもそも人生に正解なんてないんじゃないかと思っています。

例えば、仕事がうまくいかなくなったときに、必死に新しいことに挑戦するのが正解なのか?

それとも、無理に動かず、潜在意識を信じてインスピレーションが湧いてくるまで待つのが正解なのか?

どちらが正しいのかなんて、分からないですよね。

何かに挑戦して成功する人もいれば、失敗する人もいる。じっと待っていたら良い流れが来る人もいれば、何も変わらない人もいる。

結局、何が正しかったのかなんて、後から振り返ってみないと分からない。いや、後から振り返っても分からないことだってあるでしょう。

だから世の中で言われてるような「こうした方が良い」みたいな話にはあまり興味がありません。そこには何の保証もないし、結局は自分で自分の人生に責任を持つしかないからです。

そして、AIによって社会の変化が加速している今、過去の成功法則がこれからも通用する保証はますますなくなっていると思います。

結局は、環境に適応していくしかない


色々と書いてきましたが、最終的には答えはないです。
答えはそれぞれの人が自分で探して模索していくしかないんじゃないかと思っています。

なんの慰めにもならない結論で申し訳ないのですが。。。

でも、人間は環境適応の天才です。

他の動物たちなら絶滅するところを、これまでも色んな環境変化に適応してきた結果、今の私たちがあるわけです。

だから、AI時代になってもなんとか環境適応していくしかないです。

私のプレゼン資料なんかもそうです。もしお客さんが「もう必要ない」と判断するのであれば、そこに執着していても仕方がありません。

だったら、お客さんが「それは必要だよね」と思ってくれるものを探していくしかない。

例えば、今日、私は新しいサービスを考えていました。

「価値発見コンサルティング」というものです。

簡単に言えば、セッションを通して、本人が気づいていない強みや価値を発見し、競合との違いや強みをうまく言語化してカタチにしていくのをサポートするサービスです。

今日の午前中に思いついたアイデアを、午後からAIと一緒に具体化してみました。
完成度0%だったものが、20〜30%くらいにはなったと思います。

まだまだ未完成です。

これがお客さんに求められるサービスなのかも分かりません。

でも、やってみないと不正解かもわからないのでとりあえずやってみようかと思っています。

今年になって思いつきで始めたコーチングのサービスも、なんだかんだありがたいことに20件以上購入していただきました。

最初から需要があると分かっていたわけではありません。実際にサービスを作って、出品して、やってみた結果です。
ダメだったら、また別の方法を考えればいい。

そうやって試行錯誤しながら、新しい時代への環境適応の道を探していこうと思っています。


ぷれぜん仙人



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