否定

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おはようございます。


否定・・・

私たちが恐れることの一つかもしれません。

でも・・・

ここから見れば、否定は起きようがないのです。

否定は”個人の私”から生まれるものだと

気付きが起きてきます。

私という中心点から見て、”解釈”が起きて

そして

”判断”が起きたということです。

これは、どれだけ、”本当に良きことなのですよ”

と貴方が感じたとしても

それは個人的な視点であって

あくまでも、主観の判断となってしまうのですね。

全体、ここから見れば

良い悪いは判断しようがない。

良い悪いはあくまでも、個人的視点・・・

良いこと 悪いこと

分離の物語の世界の中で起き得ることなのですね。

でも、

個人的に、良い悪いはないのだと思い込もうとすることではまた違っていて

その動きである私がいなかったという

気付きが起きてくるということ・・・

全体の中で、”判断する私”が現れてきているのです。

そしてまた、同時に

どのように貴方が判断されていても

それはその中では、判断されず許されているのです。

もし、否定されることが起きてきたら

チャンスなのかもしれません。

存在しているというのは

全体から許され存在しているということ。

許されている・・・

誰かに否定されたとしても

その言葉を超えて許されてたのだ・・・

そのようにふっと軽くなり

ぬけるような・・・

全体に触れる機会になるかもしれません。

この私がそうでした。

否定されたら

その言葉を受け取り苦しむことから

少し、本当に否定されることなのかどうかと

感じてみるといいかもしれませんね。




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