鏡を曇らせるもの・・・

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コラム
おはようございます。

炭酸泉というお湯もあるのですね。

昨日娘が温泉に行こうというので

最初向かった場所がまだ時間が早すぎて、

じゃあ・・・と自分なら選ばないところに行くということが起きました。

そこにそのお湯があって、血の流れが5分浸かることで

4倍になると表現されていました。

今血の流れが良くなることに向きあうことにも

喜びが感じるので、世界の優しさに感謝なのでした*^^*

☆☆☆

いつものお化粧のひととき・・・

コンパクトの鏡にフィルターが挟まっていたことに

今まで気づかずにいて

それがはずれたとき

驚くほどはっきりと映ったのでした。

その当たり前のような光景から

私たちもいつも、このようなフィルターの雲をかけて

過ごしているのだということ

教えてくれてるようにも感じました。

見えるもの、聴こえるもの、味・・・

それらに、”私の判断”が必ずといっていいほどくっついています。

それに、今こことこの体はいつも一緒だけど

私たちは湧き上がる、考えや思考の中に

頭の世界の中に入り込んでいて

それが、明らかな今を曇らせている。

そして、湧き上がるものと私というものをくっつけていたけれど

実は

私が見た、私が聞いたというその私も

見るが起きた後の反応で

それもまた湧き上がるものと同じものだったのです。

”私はね・・・”も

よく観てみると、湧き上がっているものだということ

みえてきます。

今ここに、いつも表現しているけれど、

そのような”私はね”も湧き上がり

その中にまた入り、それがまた次の湧いてきたものを掴み

ぐるぐるしていて、

今ここを曇らせているのでした。

湧いてくるものの内容に

よく判断をして自己嫌悪に陥るということも

ありましたが、

その湧き上がることも、この私がしているのではなく

命からの全体からの自然な表現なので、

そこをまたいじくる必要なく

消えるのを観とどけてあげればいい。

陥ったときは、

雫を落とすように

これは必要ない。

そうぽとりと離すようにしています。

私たちが動かしていたと思っていたけれど、

実は、動きが先にあるということは

その動きに対して湧き上がる様々なものに

主観という善悪を超えて

影響されず生きるというところに

還ることが人に与えられていることなのかもしれませんね^^

今日のタイトルも何だろう。。。。と湧いた後に

鏡を曇らせるもの・・・・

そう湧いてきて

それを表現するが起きたのでした☆













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