吹かなくなったクラリネット「イデアルG」を手放した話

吹かなくなったクラリネット「イデアルG」を手放した話

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音声・音楽
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ケースの蓋を開けると、ヤマハカスタムのロゴが入ったクロスと、黒光りするグラナディラの管体が並んでいる。銀メッキのキイは曇りひとつなく、コルクもまだ新しい。

——問題は、この状態のまま、ここ数年ずっと出番がなかったということだ。クラリネット自体は今も現役で吹いている。ただ、本番も練習も、気づけば別の一本ばかりを持ち出していた。

先日、そのイデアルGをメルカリで手放した。決して安い買い物ではなかった楽器を、フリマアプリで売る。その決断に至るまでと、実際にやってみて感じたことを書いておきたい。


イデアルGという楽器のこと


ヤマハのカスタムシリーズ「Ideal(イデアル)G」は2009年に登場したモデルだ。「深みと奥行きのある伝統の音色を継承しながら、より音の核心に迫るために細部から再構築した」という、なかなか気合いの入った説明文がついている。

特徴的なのは、従来のクラリネットに比べて金属部品が少ないこと。内径、バレル、ベル、タンポがすべて新設計で、管体全体が息に素直に応えて共鳴する。そして55.5mmと54.5mm、長さの違うバレルが2本付属していて、その日の調子やホールに合わせて選べる。

実際に吹くと、芯のある透明感を保ちながら、どこか温かくて柔らかい。硬質すぎず、かといって輪郭がぼやけるわけでもない。「イデアル=理想」という名前は伊達じゃないな、と買った当初は本気で思っていた。


良い楽器だった。ただ、自分の現場には合わなかった


問題は、楽器の質ではなかった。**使う場所との相性**だった。

自分がクラリネットを吹くのは、ほぼ吹奏楽だ。数十人が同時に鳴らす中で、クラリネットセクションは一枚の板のように揃っていることを求められる。隣と音色が溶け合って、初めて仕事になる。

イデアルGは、その真逆に強い楽器だった。

まず、息への反応が繊細すぎる。金属部品が少なく管体全体で共鳴する設計だから、こちらのアンブシュアや息のわずかな揺らぎがそのまま音に出る。ソロで丁寧に歌うぶんには最高の美点なのだが、大人数の中で吹き続けていると、自分だけ音色が動いてしまって落ち着かない。

そして音色そのものに、はっきりした個性がある。温かくて柔らかい、あの独特の鳴り。これが並んで吹くと目立つ。周りが同系統のセッティングで揃えている中に一本だけ違う質感が混ざると、ブレンドではなく「ズレ」として聞こえてしまう瞬間がある。

音量面でも、押せば出るタイプではなかった。無理に張ろうとすると、この楽器の一番いいところ——芯の通った透明感——が真っ先に消える。フォルテの合奏で楽器の長所を殺しながら吹いている自分に気づいたとき、これは使い方を間違えているな、と思った。

だから、合奏には別の楽器を持っていくようになった。そのほうが楽だし、周りにも迷惑がかからない。そして一度そうなると、イデアルGを持ち出す機会は自然にゼロになる。

木管楽器は、置いておくだけで劣化する。タンポは湿度で傷むし、コルクは痩せる。グラナディラは吹かれないと乾いて、割れのリスクも上がる。吹かない楽器のために調整代を払い続けるのは、どう考えても本末転倒だった。

決め手になったのは、ある日ふと考えたことだ。

この楽器の良さを、自分は活かせていない。

罪悪感で持ち続けるのは、楽器に対してむしろ失礼な気がした。ソロや室内楽を中心にやっている人の手元にあれば、この個性はそのまま武器になるはずだ。



楽器店ではなく、フリマアプリを選んだ理由


最初は楽器店の買取も考えた。プロが状態を見てくれるし、手続きは圧倒的に楽だ。

ただ、いくつか調べていくうちに、フリマアプリのほうが「相手の顔が見える」感じがして、そちらに気持ちが傾いた。買取だと楽器は在庫として店頭に並び、次の持ち主は自分の知らないところで決まる。それが悪いわけではないけれど、この楽器に関しては、誰が引き取ってくれたのかを知っておきたかった。

あとは単純に、自分で説明文を書けるのが良かった。どんな音のする楽器なのか、どう扱ってきたのか、どこに傷があるのか。売り手として書きたいことが、けっこうあった。



 出品でいちばん気をつけたこと


とにかく正直に書く、これに尽きる。

楽器は高額で、しかも状態が音に直結する。買う側は不安でいっぱいだ。だから、良いところと同じ熱量で、良くないところも書いた。

- 直近で調整に出したのはいつか
- タンポやコルクの状態
- 管体に割れがないこと(あればもちろん明記する)
- キイの小傷や、メッキのくすみがある箇所
- 付属品は何が揃っていて、何が欠けているか(バレル2本、ケース、クロス、ドライバー等)

写真も、きれいに見える角度だけでなく、傷のある部分をきちんと寄って撮った。ケースを開けた全体像、上管・下管それぞれ、ベル、バレル、刻印まわり。

不安を隠して売ると、届いてからトラブルになる。それは買った人にとっても自分にとっても最悪の結末だ。「この情報を知らずに買ったら、自分は怒るだろうか」を基準にして書いていった。

そのうえで、**手放す理由もきちんと書いた**。楽器に問題があるのではなく、自分の用途(吹奏楽の合奏)と噛み合わなかったこと。息に素直に反応する繊細な楽器で、個性のある音色を持っていること。それが人によっては魅力にも扱いづらさにもなること。

ネガティブに読まれるかな、とも思った。でも、この楽器を本当に活かせる人に届いてほしかったので、隠す選択肢はなかった。


梱包は、たぶん一番緊張した


木管楽器の輸送はとにかく怖い。温度差と衝撃で割れる可能性があるからだ。

やったことはシンプルで、ケースの中で楽器が動かないことを確認し、ケースごと厚手の緩衝材で何重にも包み、外箱との隙間も全部埋めた。写真に写り込んでいるプチプチは、その作業中のものだ。あとは配送方法を、追跡と補償のあるものにした。

送り出す直前、最後にもう一度ケースを開けて、全部揃っているかを確認した。……というのは建前で、単に見納めがしたかっただけだと思う。


手放してみて


売れた瞬間は、思っていたよりあっさりしていた。通知が来て、梱包して、発送して、受取評価がついて、終わり。

そのあと少しして、じわじわ寂しさが来た。当たり前だ。何年も持っていた楽器だし、決断するまでにさんざん迷ったのだから。

でも後悔はしていない。今も週末には合奏に出ているし、そこで吹いているのは自分の現場に合った楽器だ。イデアルGは、その合奏のためには作られていなかった。それだけの話で、どちらが良い悪いではない



同じように迷っている人へ


「良い楽器なのに、なぜか出番がない」——この状態は、けっこう厄介だ。

楽器のせいにできないから、なんとなく自分の技術不足のように感じてしまう。実際、腕が上がれば扱えるようになる部分もある。だから「もう少し上手くなったら」と思って、そのまま何年も経つ。

でも、楽器には向き不向きがある。ソロで映える個性と、セクションで揃える性能は、はっきり別物だ。合わない楽器で合奏に挑み続けるのは、修行としてはともかく、音楽としてはあまり幸せじゃない。

判断材料になったのは、「次の本番でこれを持っていく理由を、自分に説明できるか」という問いだった。説明できなかったら、答えはもう出ている。

楽器は、それが活きる場所で鳴らされてこそ楽器だと思う。


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