「嫌われる勇気」という言葉、耳にしたことありませんか?
ままぱんだは初めてこの言葉を目にしたとき、はっとしたのを覚えています。そうか💡嫌われるのって勇気がいるんだって。嫌われたくない!という思いでこれまで生きてきたけれど…。「嫌われる勇気」を持つことで、より自分らしく生きられるんだということに気がつきました。でも、そうはいってもやはり、「嫌われたくない!」という思いが頭をもたげるのです。いったいこれは何なんだ!?打ち消そう、打ち消そうとしても湧き上がってくる、嫌われたくないという思い。もはやヒトとしての本能なのでは?
ということで今回は、嫌われたくない心理について、人類の歴史から考えてみようと思います。
仲間に嫌われたらピンチ!食べ物にありつけない原始時代
ここでは、マンモスやナウマンゾウなどを追いかけていた旧石器時代(約3万年前)を想定します。日本の場合、原始時代といっても旧石器時代から古墳時代頃までと期間が長いので。
狩猟や採集をしながら、十数人で洞窟やテント暮らし。現代のようにスーパーで食料調達できるわけもなく、マンモスを追いかけ、木の実を拾い集めて食料にしていました。気候も今よりはるかに寒く、過酷な環境でした。平均寿命15歳って本当!?でもわかる気がします。野生パンダの寿命も15~20年程度ですもんね。ヒトも野生だった頃は同じくらいだったのでしょう。
そんな環境での至上命題は食べ物の確保です。グループ総出で食料確保に奔走していたでしょうね。大型動物を仕留める人、木の実を集める人、子どもの面倒を見る人。自然と(というより必要に迫られて)協力するようになります。その中で、元気なのにサボり続ける人がいたら…。一頭も狩れないし、木の実一つ採らないし、子どもの面倒も見ない。もうこの群れには要らない。そう思われて嫌われてしまったら?食べ物が安定して手に入らない時代、命をつなぐだけで精いっぱいの時代。群れから追い出されるか、食べ物を分けてもらえなくなるか。いずれにしても命の危機に直結します。これはまずい。群れの中で嫌われてはならない。生き延びるために…。進化の過程で本能にそう刻まれたとしたら。
嫌われたくない!そう思うのが自然。だから意図的に「嫌われてもいい」と意識する
もうね、嫌われたくない!と思うのは自分の弱さのせいではないと思うんですよね、ままぱんだは。人類が過酷な環境下を生き延びるための、本能に近いものだったんじゃないかと。翻って現代、比較的安定して食べ物を手に入れられるようになり、文化も技術も目を見張る勢いで発達しました。おひとりさまでも十分生きていけます。取り巻く環境はここまで変わったのに、嫌われたとしても命の危機に直結することはほぼなくなったのに、なのに、人は嫌われたくない!と無意識のうちに思ってしまう。
だから、もう嫌われたくない!と思うのがデフォルトなんだと考えたほうがいいんじゃないかと思うのです。その上で、意図的に「嫌われてもいい」と意識する。自然に「嫌われてもいい」な~んて、思えるほうが不自然なんだと。じゃあ、意図的に「嫌われてもいい」と思うためにはどうすればいいのか?
「嫌われてもいい」と思うための準備 ~安心できる場所が必要~
さて、いくら意図的に「嫌われてもいい」と意識しようとしても、不安な気持ちでいっぱいだったら、とてもそうは思えません。私のこと嫌いにならないで!見捨てないで!って、それはもうすがるような気持ちになることでしょう。堂々と、そして不安を感じることなく「嫌われてもいい」と思うために。準備しておくとよいことがあります。それは、安心できる場所の確保。一つだけでなく、複数あるとなおよいです。
理想的なのは、家庭が一番安心できる場所であって、ほかに習い事や趣味、ボランティア活動などで居場所があることです。職場は、そこが安心できる場所であればよいですが、レアケースかなとままぱんだは思っています(ままぱんだが経験した職場は、程度の差こそあれ合戦場かと思ってました💦)。ただ、家庭もそれぞれで、安心できる場所とは限りません。安心できる場所なんて、いったいどうやって見つけたらいいのか?
安心できる場所の見つけかた ~まずはお客さんの立場でいられるところから~
たとえば、習い事を始めてみるとします。ままぱんだの場合だと楽器ですね。こちらがお客さんの立場なので、舐められることはまずありません。絶対に、ではありませんよ。カフェなどで、ちょっと見下したような接客をする店員さんもいたりしますので。でも、ほとんどの場合は親切に対応してくれます。まあ向こうもビジネスなのでと言ってしまえばそれまでですが。あ、ちなみにお客さんの立場だからといって無理難題を突きつけてはいけませんよ。お店とお客さん、立場は対等ですので。
で、最初は講師の先生も親切なんですが、おたがいどこかぎこちない。でも、それが1年、2年と続くと世間話やちょっとした愚痴が言えるようになります。3年経つころには、自分の中での「安心できる場所リスト」に載ります。習い事をいくつもやるというのもお金がかかりますので、ボランティア活動もいいかなと思います。ただ、ボランティアなので(報酬は無いに等しい)、気持ちに多少の余裕がないと難しいかもしれません。とはいっても、ままぱんだは職場の合戦で満身創痍になっていたときも、PTA役員やってましたけどね(笑)。余裕がなくても、環境が合えばそちらで傷を癒すこともできますから。
やってみて、合わないな、なんか違う…。そう思ったら、直感にしたがうことをおすすめします。自分の内なる声を無視して、無理して続けたところで苦しくなるだけです。合わないところは早めに見切りをつけることも大事なこと。やってみたいと思うことを試していって、これいいかも☆とビビッとくるものに出合えたら続けてみる。そうすると、年月が経つうちに、かけがえのない居場所になるかもしれないのです。その頃には楽器だったら演奏技術も向上して自信もつきますし、PTAなどボランティアだったら、実績も積み上がって、まとめる立場になっていることでしょう。
なので、順番としては以下のようになります。
①お客さんの立場でいられる場所(習い事など)→②ボランティア活動(PTAなど)→③いくつか居場所があるし、「嫌われてもいい」と思える
※①と②は逆でもよいですが、ボランティア活動から始める場合(特にPTA)、特技(文才がある、会計がプロ並み、交渉力がある、コミュニケーション能力抜群、など)が必要です。
ちなみに、嫌われたら不利になるんじゃないの?という声が聞こえてきそうですが。いくつか安心できる場所を作ったうえで、それらのコミュニティの外で嫌われるのであれば、なにも痛手になりません。あなたを認めてくれてる場所がありますからね。
嫌われる勇気を持って、自分らしく生きたい✨
その願いが叶いますように☆
ままぱんだはいつでも応援しています !(^^)!